小川未明
三郎は、往来で、犬と遊んでいるうちに、ふいに、自分のかぶっていた帽子をとって、これを犬の頭にかぶせました。
ポチは、目が見えなくなったので、びっくりして、あとずさりをしました。それに、坊ちゃんの大事な帽子をよごしたり、いためたりしては、わるいと思ったので、遠慮するように見えたのであります。
「ポチ、帽子をかぶって、歩くんだよ。」と、三郎は、いいました。
「私は、帽子はいりません。」と、答えるように、ポチは、尾をぴちぴちと振って、帽子を頭の上から落としました。
三郎は、いやがるポチの後を追いかけて、こんどは、無理に帽子を頭からかぶせて、
「おまえに、この帽子をやるよ。」といいました。
すると、こんどは、ポチは、喜んで、もうだれにも遠慮もないと思ったごとく、帽子をくわえて、飛び上がりながら、駆け出しました。
「おまち、ポチ、おまち。」といって、三郎はその後を追いましたけれど、ポチは、さっさと、帽子をくわえてどこへかいってしまいました。
三郎は、後悔しましたけれど、しかたがありません。ポチは坊ちゃんから、帽子をもらって、うれしくて、身の置きどころがないように、方々へ帽子をくわえて駆けまわっていました。
しかし、いくらうれしくても、犬には、帽子の必要がなかったのでした。こうして、帽子をくわえて遊んでいるうちに、ふと、ポチは野ねずみかなにかを見つけました。彼は、帽子を口から放すと、こんどは、野ねずみを捕らえようとして、追いかけました。
野ねずみは、よっぽど犬よりりこうで、すばしこかったので、小さな体を木株のあたりに潜めたかと思うと、もう、姿は、見えなくなってしまいました。
「あいつ、どこへ隠れたろう。」と、ポチは、あちらの木の下や、こちらの草の根を分けて捜していましたが、ついに見つからないので、あきらめてつまらなそうな顔つきをして、お家を思い出して帰っていったのです。
道のかたわらに、小学生のかぶる帽子が、捨てられて落ちていました。そこへ、帽子を持たない工夫が通りかかって、その帽子を見つけました。
「こんなところに、子供の帽子が落ちている。友だちどうしでけんかでもして捨てたのかな。」といって、拾い上げました。
「子供のでは、俺の頭に合うまい。」と、いいながら、自分の頭にのせてみました。すると、帽子は、頭の半分ほどはいったのです。工夫は、子供の帽子をかぶって道を歩いたのでした。
工夫は、野原の中に立っている、電信柱の上で仕事をしていました。故障のある箇所を修繕したのです。しかし、下を向くと、ちょっと頭にかかっている帽子が、なんだか落ちそうな気がして、気にかかったので、彼は、頭から帽子を取って、電信柱のいただきにかぶせておいたのです。
彼は、たばこをのみたいと思ったけれど、我慢をしていました。そのうちに、仕事が終わったので、工夫はいそいで降りて、たばこをのみました。そして、帽子のことなどを忘れていました。
しばらくしてから、思い出したが、わざわざ上がって、役にもたたない帽子を持ってくる気になれなかったのでした。
「風が吹いたら、そのうちに、ひとりでに飛んでしまうだろう……。」と、そんなくらいにしか、思わなかったのです。
電信柱は、頭に、いままでかぶったこともない帽子をかぶされて迷惑しました。かれ自身には、手がないから、それを取りはらうことができなかった。そして、いままで、遠方を見まわしたのに、いまは、盲目になったと同じく、なにも見られませんでした。
「なんで、私に、こんなものをかぶせたのだろう? ほかに、いくらも、帽子をほしいと思っているものがあろうのに……。」と、無用なことをするものだなと腹をたてたのでした。
「だれか、このじゃまな、帽子をとってくれないものかな。」と、電信柱は、ひとり言をしました。しかし、風よりほかには、彼の訴えを聞くものがありません。
「風さん、風さん、あなたの力では、このじゃまものをとり去ることができませんか?」
「さあ、ひとつやってみましょう。」と、風は、答えて、電信柱にかぶさっている帽子を吹き飛ばそうとしました。けれど、帽子が、ちょうど柱にはまっているとみえて、なんの役にもたたなかったのです。
電線にとまった、おしゃべりのすずめは、柱がみょうなものをかぶって、困っているのを見てチュウチュウ笑っていました。
ある晩、月は、この不幸な電信柱をなぐさめ顔に、
「もうすこしの我慢ですよ。」といいました。
ある日のこと、空に、するどい羽音がしました。電信柱はもう秋になったから、いろいろの鳥が頭の上を渡るけれど、こんなに力強く、羽を刻む鳥は、なんの鳥であろうと考えていました。
それは、わしでありました。光る目で下界を見おろしながら飛んでゆくうちに、わしは電信柱のかぶっている帽子を見つけて、つーうと降りると、それをさらっていってしまったのです。電信柱には、まったく、思いがけないことでした。はじめて夜が明けたような気がしました。
その後、三郎も、犬も、工夫も、そして、電信柱も、この帽子の行方について知ることができなかった。ただひとり、月だけは、世界じゅうを旅しますので、それを知りました。帽子は山の林のわしの巣に持ってゆかれて、その中に、三羽のわしの子がはいって、あたたかそうに巣から頭を出していました。