「みんなが、そのような、正しい考えを持っていましたら、どんなにこの世の中がいいでしょう? 私は、この話をみんなに知らしたいと思います。私は、珍しい鳥をあなたにあげますから、いつまでも飼ってやってください。そして、私を忘れずにいてください。」と、昔の子供はいいました。
口笛を上手に吹く彼は、山の方へはいっていきました。そして、どこからか、一羽の珍しい鳥を捕まえてきました。
「なんという鳥ですか。」と、年上の若者がきくと、
「どうか、あほう鳥という名をつけておいてください。この鳥をあなたにさしあげます。」と、年若の子供は答えた。
二人は、ついに南と北に別れました。
それから、幾十年……たったことでしょう。ある町の二階を借りて、年とった男が、鳥と二人でさびしい生活をしていました。
男は頭の髪が半分白くなりました。鳥も年をとってしまいました。男は、鳥の焼き画を描くことや、象眼をすることが上手でありました。終日、二階の一間で仕事をしていました。その仕事場の台の前に、一羽の翼の長い鳥がじっとして立っています。ちょうど、それは鋳物で造られた鳥か、また、剥製のように見られたのでありました。
男は、夜おそくまで、障子を開け放して、ランプの下で仕事をすることもありました。夏になると、いつも障子が開けてありましたから、外を歩く人は、この室の一部を見上げることもできました。
ちょうど隣の家の二階には、中学校へ、教えに出る博物の教師が借りていました。博物の教師は、よく円形な眼鏡をかけて、顔を出してこちらをのぞくのであります。
博物の教師は、あごにひげをはやしている、きわめて気軽な人でありましたが、いつも剥製の鳥を、なんだろう? ついぞ見たことのない鳥だが、と思っていました。男が、気むずかしい顔をして仕事をしているので、つい口を出さずにいましたが、ある日のこと、教師は、
「あれは、なんという鳥の剥製ですか?」と、唐突にききました。
下を向いて仕事をしていた男は、隣の屋根から、こちらを向いて、みょうな男が顔を出してものをいったので、気むずかしい顔を上げてみましたが、急に笑顔になって、
「やあ、お隣の先生ですか。さあ、どうぞ、そこからお入りください。」と、男はいいました。
男は、その人が、学校の先生であるのを、前からものこそいわなかったけれど、知っていたのです。
「なんという鳥ですか? 珍しい鳥ですな。」と、先生は、はいろうともせずにたずねたのであります。
「あほう鳥といいます。」と、男は答えました。
「あほう鳥?」といって、先生は、聞いたことのない名なので、びっくりしたように目を円くしました。
「なんにしてもいい剥製ですな。」と、先生は、ため息をもらしました。
「いや、剥製ではありません。生きているのです。もう年をとったので、いつもこうして眠っています。」と、男は答えました。
先生は、不思議なことが、あればあるものだと、ふたたび、びっくりしました。この先生もどちらかといえば、あまり人と交際をしない変人でありましたが、こんなことから、隣の男と話をするようになりました。
ある朝、あほう鳥が鳴きました。男は、なにかあるな? と胸に思いました。
はたして、隣の先生がやってきました。そして、大事に扱うから、ちょっとあほう鳥を学校へ貸してくれないかと頼みました。男は、あほう鳥をひとり手放すのを気遣って、自分も学校まで先生といっしょについていきました。
こんなことから、男は、多数の生徒らに向かって、昔、南のある町を歩いているときに、子供を助けたこと、それから、その子供といっしょに働いたこと、子供は、どんな鳥でも自分の友だちにすることができたこと、この鳥は、その青年が分れるときにくれて、いままで長い月日の間を、この鳥と自分は、いっしょに生活をしてきたことなどを、物語ったのであります。
それから、正直な「鳥の老人」として、この町の付近には評判されました。この人の、鳥の焼き画や象眼は、急に、名人の技術だとうわさされるにいたりました。
暗い、夜のことであります。この年とった男は、ランプの下で仕事をしていますと、急にじっとしていたあほう鳥が羽ばたきをして、奇妙な声をたてて、室の中をかけまわりました。いままでこんなことはなかったのです。
「おまえは、気でも狂ったのではないか!」と、男は、鳥に向かっていいました。けれど、鳥は、なかなかおちつくようすはありませんでした。
「先生に、きてみてもらおう。」と、男は、もうこのごろでは、親しくなった、隣の先生を呼んだのでありました。
「鳥は、ものに感じやすいというから、今夜、変わったことがあるのかもしれない。あるいは地震でもな……気をつけましょう。」と、先生は、しきりに騒ぐ鳥を見ながらいいました。
はたして、その夜、この町に大火が起こりました。そして、ほとんど、町の大半は全滅して、また負傷した人がたくさんありました。
この騒ぎに、あほう鳥の行方が、わからなくなりました。男はどんなにか、そのことを悲しんだでしょう。彼は、焼け跡に立って、終日、あほう鳥の帰ってくるのを待っていました。しかし、とうとう、鳥は帰ってきませんでした。煙に巻かれて、焼け死んだものか、南の故郷に、逃げていったものか、いずれかでなければなりません。
「私は、べつに、この町にいなければならない身ではないのです。もう一度、鳥のすんでいた国にいってみようと思います。」と、男は、先生にいいました。
「そうですか、そんなら、私も、あなたといっしょにいって、その口笛の名人について、珍しい鳥の研究をいたします。」と、先生がいいました。
こうして、男と先生は、旅に出かけました。遠くの空に、白い雲が漂っていました。三人が落ち合った日、どんな話を、たがいに睦まじく語り合うでありましょう。