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牛女(2)

时间: 2022-10-17    进入日语论坛
核心提示: こうして、くる年(とし)も、くる年(とし)も、西(にし)の山(やま)に牛女(うしおんな)の黒(くろ)い姿(すがた)は現(あらわ)れまし
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 こうして、くる(とし)も、くる(とし)も、西(にし)(やま)牛女(うしおんな)(くろ)姿(すがた)(あらわ)れました。そのうちに、子供(こども)(おお)きくなったものですから、この(むら)から程近(ほどちか)い、(まち)のある商家(しょうか)へ、奉公(ほうこう)させられることになったのであります。
 子供(こども)は、(まち)にいってからも、西(にし)(やま)()(こい)しい母親(ははおや)姿(すがた)をながめました。(むら)人々(ひとびと)は、その子供(こども)がいなくなってからも、(ゆき)()って、西(にし)(やま)牛女(うしおんな)姿(すがた)(あらわ)れると、母親(ははおや)と、子供(こども)情合(じょうあ)いについて、(かた)()ったのでありました。
「ああ、牛女(うしおんな)姿(すがた)があんなにうすくなったもの、(あたた)かになったはずだ。」と、しまいには、季節(きせつ)(うつ)()わりを、牛女(うしおんな)について人々(ひとびと)はいうようになったのでした。
 牛女(うしおんな)子供(こども)は、ある(とし)(はる)西(にし)(やま)(あらわ)れた母親(ははおや)(ゆる)しも()けずに、かってにその商家(しょうか)から()()して、汽車(きしゃ)()って、故郷(ふるさと)見捨(みす)てて、(みなみ)(ほう)(くに)へいってしまったのであります。
 (むら)(ひと)も、(まち)(ひと)も、もうだれも、その子供(こども)のことについて、その(のち)のことを()ることができませんでした。そのうちに、(なつ)()ぎ、(あき)()って、(ふゆ)となりました。
 やがて、(やま)にも、(むら)にも、(まち)にも、(ゆき)()って()もりました。ただ不思議(ふしぎ)なのは、どうしたことか、今年(ことし)にかぎって、西(にし)(やま)牛女(うしおんな)姿(すがた)()えないことでありました。
 人々(ひとびと)は、牛女(うしおんな)姿(すがた)()えないのをいぶかしがって、
子供(こども)が、もう(まち)にいなくなったから、牛女(うしおんな)見守(みまも)必要(ひつよう)がなくなったのだろう。」と、(かた)()いました。
 その(ふゆ)も、いつしか()ぎて(はる)がきたころであります。(まち)(なか)には、まだところどころに(ゆき)()えずに(のこ)っていました。ある()(よる)のことであります。(まち)(なか)(おお)きな(おんな)が、のそりのそりと(ある)いていました。それを()人々(ひとびと)は、びっくりしました。まさしく、それは牛女(うしおんな)であったからであります。
 どうして牛女(うしおんな)が、どこからきたものかと、みんなは(かた)()いました。人々(ひとびと)はその(のち)もたびたび真夜中(まよなか)に、牛女(うしおんな)がさびしそうに(まち)(なか)(ある)いている姿(すがた)()たのでありました。
「きっと牛女(うしおんな)は、子供(こども)故郷(こきょう)から()ていってしまったのを()らないのだろう。それで、この(まち)(なか)(ある)いて、子供(こども)(さが)しているのにちがいない。」と、人々(ひとびと)はいいました。
 (ゆき)がまったく()えて、(まち)(なか)には(あと)をも()めなくなりました。木々(きぎ)は、みんな銀色(ぎんいろ)()をふいて、(よる)もうす(あか)るくていい季節(きせつ)となりました。
 ある()(ひと)牛女(うしおんな)(まち)(くら)路次(ろじ)()って、さめざめと()いているのを()たといいます。しかしその(のち)、だれひとり、また牛女(うしおんな)姿(すがた)()たものがありません。牛女(うしおんな)はどうしたことか、もはやこの(まち)にはおらなかったのです。
 その(とし)以来(いらい)(ふゆ)になっても、ふたたび(やま)には牛女(うしおんな)(くろ)姿(すがた)()えなかったのであります。
 牛女(うしおんな)子供(こども)は、(みなみ)(ほう)(ゆき)()らない(くに)へいって、そこでいっしょうけんめいに(はたら)きました。そして、かなりの金持(かねも)ちとなりました。そうすると、自分(じぶん)()まれた(くに)がなつかしくなったのであります。(くに)(かえ)っても、母親(ははおや)もなければ、兄弟(きょうだい)もありませんけれど、子供(こども)時分(じぶん)自分(じぶん)(そだ)ててくれたしんせつな人々(ひとびと)がありました。(かれ)は、その(ひと)たちや、(むら)のことを(おも)()しました。その(ひと)たちに(たい)して、お(れい)をいわなければならぬと(おも)いました。
 子供(こども)は、たくさんの土産物(みやげもの)と、お(かね)とを()って、はるばると故郷(こきょう)(かえ)ってきたのであります。そして、(むら)人々(ひとびと)(あつ)くお(れい)(もう)しました。(むら)(ひと)たちは、牛女(うしおんな)子供(こども)出世(しゅっせ)をしたのを(よろこ)び、(いわ)いました。
 牛女(うしおんな)子供(こども)は、なにか、自分(じぶん)事業(じぎょう)をしなければならぬと(かんが)えました。そこで(むら)(ひろ)地面(じめん)()って、たくさんのりんごの()()えました。(おお)きないいりんごの()(むす)ばして、それを諸国(しょこく)()そうとしたのであります。
 (かれ)は、(おお)くの(ひと)(やと)って、()肥料(ひりょう)をやったり、(ふゆ)になると(かこ)いをして、(ゆき)のために()れないように()をかけたりしました。そのうちに()はだんだん(おお)きく()びて、ある(とし)(はる)には、(ひろ)(はたけ)(めん)に、さながら(ゆき)()ったように、りんごの(はな)()きました。太陽(たいよう)終日(しゅうじつ)(はな)(うえ)(あか)るく()らして、みつばちは、(あさ)から()()れるまで、(はな)(なか)をうなりつづけていました。
 初夏(しょか)のころには、(あお)い、(ちい)さな()鈴生(すずな)りになりました。そして、その()がだんだん(おお)きくなりかけた時分(じぶん)に、一()(むし)がついて、畑全体(はたぜんたい)にりんごの()()ちてしまいました。
 ()くる(とし)も、その()くる(とし)も、(おな)じように、りんごの()()ちてしまいました。それはなんとなく、子細(しさい)のあるらしいことでありました。(むら)のもののわかったじいさんは、牛女(うしおんな)子供(こども)()かって、
「なにかのたたりかもしれない。おまえさんには、(こころ)あたりになるようなことはないかな。」と、あるとき、()きました。牛女(うしおんな)子供(こども)は、そのときは、なにもそれについて(おも)()すことはありませんでした。
 しかし、(かれ)(ひと)りとなって、(しず)かに(かんが)えたとき、自分(じぶん)(まち)から()て、遠方(えんぽう)へいった時分(じぶん)にも、母親(ははおや)霊魂(たましい)無断(むだん)であったことを(おも)いました。また、故郷(こきょう)(かえ)ってきてからも、母親(ははおや)のお(はか)におまいりをしたばかりで、まだ法事(ほうじ)(いとな)まなかったことを(おも)()しました。
 あれほど、母親(ははおや)は、自分(じぶん)をかわいがってくれたのに、そして、()んでからもああして自分(じぶん)()(うえ)(まも)ってくれたのに、自分(じぶん)はそれに(たい)して、あまり冷淡(れいたん)であったことに、(こころ)づきました。きっと、これは(はは)(いか)りであろうと(おも)いましたから、子供(こども)は、(ねんご)ろに母親(ははおや)霊魂(たましい)(とむら)って、(ぼう)さんを()び、(むら)人々(ひとびと)()び、真心(まごころ)をこめて母親(ははおや)法事(ほうじ)(いとな)んだのでありました。
 ()くる(とし)(はる)、またりんごの(はな)()(しろ)(ゆき)のごとく()きました。そして、(なつ)には、青々(あおあお)(みの)りました。毎年(まいとし)このころになると、(わる)(むし)がつくのでありましたから、今年(ことし)は、どうか満足(まんぞく)()(むす)ばせたいと(おも)いました。
 すると、その(とし)(なつ)日暮(ひぐ)(がた)のことであります。どこからとなく、たくさんのこうもりが()んできて、毎晩(まいばん)のようにりんご(ばたけ)(うえ)()びまわって、(わる)(むし)をみんな()べたのであります。その(なか)に、一ぴき(おお)きなこうもりがありました。その(おお)きなこうもりは、ちょうど女王(じょおう)のように、ほかのこうもりを(ひき)いているごとく、()えました。(つき)(まる)く、(ひがし)(そら)から(のぼ)(ばん)も、また、黒雲(くろくも)()(そと)()(くら)(ばん)も、こうもりは、りんご(ばたけ)(うえ)()びまわりました。その(とし)は、りんごに(むし)がつかずよく(みの)って、予想(よそう)したよりも、(おお)くの収穫(しゅうかく)があったのであります。(むら)人々(ひとびと)は、たがいに(かた)らいました。
牛女(うしおんな)が、こうもりになってきて、子供(こども)()(うえ)(まも)るんだ。」と、そのやさしい、(じょう)(ふか)い、心根(こころね)(あわ)れに(おも)ったのであります。
 また、つぎの、つぎの(とし)も、(なつ)になると、一ぴきの(おお)きなこうもりが、(おお)くのこうもりを(ひき)いてきて、りんご(ばたけ)(うえ)毎晩(まいばん)のように()びまわりました。そして、りんごには、おかげで(わる)(むし)がつかずによく(みの)りました。
 こうして、それから四、五(ねん)(のち)には、牛女(うしおんな)子供(こども)は、この地方(ちほう)での幸福(こうふく)()(うえ)の百(しょう)となったのであります。

 

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