木枯らしの吹く夜のことです。地の上には、二、三日前に降った大雪がまだ消えずに残っていました。空には、きらきらと星が、すごい雲間に輝いていました。
ここに憐れな年とった按摩がありました。毎晩のように、つえをついて、笛を鳴らしながら、町の中を歩いたのでした。按摩は、坂にかかって、地が凍っているものですから、足をすべらしました。そのはずみに、懐中の財布を落とすと、口が開いて、銀貨や、銅貨がみんなあたりにころがってしまったのでした。
「あ、しまった!」と、按摩はあわてて両手で地面を探しはじめました。
指のさきは、寒さと、冷たさのために痛んで、石ころであるか、土であるか、それとも、銅貨であるかさえ判断がつかなかったのでした。通る人たちは、わき見もせずに、みんな寒いので家の方へ急いでいました。また、通りがかりに、この有り様を見た人の中には、拾ってやって、相手が盲目だから、かえって疑われるようなことがあってはつまらないと思ったり、また、中には、自分で後からきて銭を拾ってやろうと、よくない考えを抱いたような小僧などもありました。
ちょうどこのとき、やさしい少女は通りかかったのです。
「なんという、人間は、浅ましい心をもっているのでしょうか。天国には、こんな考えをもっているようなものや、薄情なものは一人もないのに!」と思いました。
「おじいさん、わたしが、拾ってあげます。」と、少女はいって、銀貨や、銅貨を拾って、按摩の財布の中にいれてやりました。
年とった按摩は、たいへんに喜びました。
「今夜は、道が凍ってすべりますから、出まいかと考えましたのを、出たのでこんなめにあいました。まことにありがとうございます。」といって、幾たびとなく礼を述べました。
やさしい少女は、按摩の手をひいて、家へつれていってやりました。
家では、おばあさんが、こんなに寒く、道がすべるからけがでもなければいいがと心配していました。そこへ、按摩のおじいさんは、少女に手をひかれて帰ってきました。
おばあさんは、おじいさんから、今夜少女に助けられた話をきくと、たいそう感心して厚くお礼を申しました。二人は、少女に、どうか上がってくれといって、家へいれて、火をたいて暖かにして少女をいたわりました。
「お嬢さんは、この町の人ではないようですが、お家はどこでいらっしゃいますか。」と、おばあさんはたずねました。
少女は、急に、さびしそうな顔つきをしました。
「この世界には、わたしの家というものはないのでございます。わたしは、まったくの独りぼっちで、今日はこの町、明日はあちらの村というふうに歩いています……。」と、少女は答えました。
すると、おばあさんも、おじいさんもあきれた顔つきをしました。
「まあ、そんなら、お母さんも、お父さんもおありなさらぬのですか?」と、二人はたずねました。
「わたしのお母さんも、お父さんも、ここから遠い、遠い、歩いてはゆかれないところにいらっしゃいます。」と、少女は答えました。
おばあさんは、うなずきました。
「二人とも、おなくなりなさったので……あなたは、孤児なんですね。」といって、独りでそうきめてしまいました。
盲目のおじいさんは、おばあさんのそでをひきました。
「やさしい子でもあるし、両親がないというのだから、幸い、家の子にしてはどうだな?」と、顔をおばあさんの方に向けて、小さな声でいいました。
おばあさんは、じろじろと少女のようすを見て、孤児にしては、あまりきれいで、どことなく上品なので、なんらかふに落ちないように小くびを傾けていました。
「そう、おまえさんのように、やすやすときめていいものですか……。」と、怒り声を出していいました。
「おばあさん、よく考えてみるがいい。こんな子供があったら、どれほど、家の役にたつかしれないぜ。」と、按摩はいいました。
おばあさんは、なるほどとうなずきました。そこで、急に、声をやさしくして、少女に向かって、
「どこのお嬢さんですか、知りませんが、いまのお話のような身の上でしたら、私の家の子になってくださいませんか。じつは、私たちは、二人ぎりでさびしくてしかたがないのですから。」と、おばあさんは頼みました。
少女は、遠い、空のかなたのふるさとを思い出しました。いつも、ふるさとのことを思うと悲しくなりました。
「わたしは、ここの家の子になってしまうことができませんけれど、すこしの間でよければ、おてつだいをしてあげます。」と、少女は答えました。
「そんなら、すこしの間でもいいから、てつだいをしてください。」と、二人は頼みました。
やさしい少女は、この日から、おばあさんやおじいさんのてつだいをしてしんせつに、二人のためにつくしたのです。
老人夫婦は、けっして、心の悪い人ではありませんでしたから、少女は、つらいことがあっても我慢をいたしました。そして、夜は、按摩のおじいさんの手を引いて町へもゆきました。
「おじいさん、寒い晩ですこと。」と、少女は、歩きながら、おじいさんに向かって話しました。
「ああ、早く、春になって、暖かになってくれるといい。」と、おじいさんはいいました。
木枯らしが吹いていました。そして、星の光が、ぴかぴかと、いまにも飛びそうに空に光っていました。少女は、じっと、星の光をながめて、ふるさとを思い出していたのであります。
春になりました。海の上は穏やかに、山には、木々の花が咲いて、野原には、緑色の草が芽ぐみました。ある日のこと、町の人々は、海の上に、不思議な景色が見えるとうわさしました。それは、蜃気楼なのであります。
「おばあさん、海の上に、不思議な景色が見えるといいますから、いってみましょう……。」と、少女は、おばあさんにいいました。
「ああ、いいお天気だから、おまえだけいってみておいでなさい。私は年寄りだから、歩くのがたいそうです。」と、おばあさんは答えました。
少女は、独りで、海へいってみたのであります。かぎりもなく、海原は、青々としてかすんでいました。太陽の光は、うららかに、波の上を照らしていました。町の人々は、たくさん海辺へ出て沖の方をながめていました。そのうちに、もうろうとして夢のように、影のように、どこの景色とも知らない、山や、野原や、紫色の屋根などが浮かんで見えたのであります。
「ああ、わたしのふるさとの景色だこと。」といって、少女は飛び上がりました。天国から、下界へきてはや三年の月日がたったのであります。その間にいろいろの人間の生活に触れてみました。しかし、いまやふるさとに帰るときがきたのであります。
町の人々は、不思議な景色が見えなくなると、家の方に帰りましたが、少女だけは、岩の上に立って、沖の方をいっしんに望んでいました。そのうちに、一そうの赤い船が、こちらをさしてこいできたのです。少女を迎えにきたのでした。少女は、それに乗ると、ふたたび天国をさして去りました。このやさしい天使は、永久に、この下界に別れを告げたのでした。
天国には、やさしい天使のお母さんが、我が子の帰るのを待っていられました。三年の間、下界に苦しんできた子供に、なんの変わりもなければいいがと心配していられました。小さな天使は無事に、ふたたびなつかしいお母さんを見ることができました。お母さんは、やはり、心の美しい、汚れない我が子であるとお知りなさると、ほんとうにお喜びになりました。
姉の天使も、弟の天使も、みんなが下界の有り様を知ろうと、このやさしい天使を取り囲んでお話を伺いました。小さなやさしい天使は、下界で見たことと知ったことを語りました。そして、正直な、哀れな人たちに、幸福を与えてやりたいと答えたのであります。
――一九二四・一〇作――