子供は虐待に黙従す
小川未明
一
しかし、時勢は、推移した。今や、婦人は平等の権利を主張し、無産階級の解放は、また決定的の事実と見らるるに至った。もはや彼等は、手の下の罪人のような待遇を受けずに済むことも恐らくは遠くはあるまい。
「手の下の罪人」何という
ちょうど、資本家が、労働者を
親はその子供を愛し、大人は小人を愛撫すると言われているが、果たして子供等は真に愛されつつあるであろうか。極めて
無産者の家庭にあっては、子供は、常に、罪なくして親達の生活に対する焦燥から、感情の犠牲者となって、無理由な虐待をば受けてはいないか? 有産階級の家庭にあっては、年若い母親や、父親が、自分の享楽のために、子供を人手に
たとえば、子
どんなことでも、言い付けらるればしなければならぬ。それが多くの子供の運命であった。そして誰も、曾て、子供等のためにこの暴虐な運命に対して
絶対に服従しなければならぬ。それが、子供としては、あたりまえであると思われて来た。そして今日、なお子供の運命に対して
永久に、子供は、手の下の罪人でいなければならぬだろうか?
家庭にあって、大人は、どれ程自分達の都合のために、子供を酷使して来たか分からない。子供の感情を
子供のために、その親達に、また大人に、抗議を申し込むものがないばかりに、子供自身には、全くその力がないばかりに、子供等が虐待されていながら、世間は、それについて考えもしなければ、また、顧みもしないのである。
私は、そのことに考え至ると、一種の恐怖すら
人間性を信じて来たがために、かかることはあり得ないとさえ思ったことがあった。しかし、日常の見聞から、少年に対する暴虐を否定することができない。