はたして、乞食の親子は、ぶなの木の根もとで火を焚きました。青い煙が、幹を伝い、小枝を分けて、冴えた、よくふき清めたガラス張りのような空へ上ってゆきました。このごろ、ぶなの木は、春の近づいたせいか、空を見ると、去年の夏、飛んできたかわらひわのことを思い出すのでした。かわらひわは、毎日のように、どこからか飛んできて、枝に止まって、いい声でさえずりをきかせたり、また、遠い旅の話などをきかせてくれたのでした。そして、別れる時分に、さも名残惜しそうにして、
「また、来年の若葉のころには、きっときますから、どうぞ、みなさんお達者でいてください。」といったのでありました。
三本のぶなの木は、そのかわらひわのいったことを思い出すにつけ、こんな乞食が、ここへやってきたのでは、たとえ自分たちが、無事でいても、かわらひわは、おそらく、二度とここへはきて止まることもあるまいと考えたのでありました。それは、なんという情けない、また悲しいことだったでしょう。日が沈んでから、その日も募り出した、北風に、木は、昨日にもまして悲しい声で唄をうたったのであります。
二、三日後の、暮れ方のことでした。だいぶ暖かになったので、水の中の魚が、しきりと輪を描いて泳いでいました。このとき、乞食の子は、町の方から、一羽のあひるを抱いて帰ってきました。それより、一足先に小舎へもどっていた父親は、それを見て、
「どこでさらってきた?」と、たずねました。
「犬がくわえてきたのを追い払って、捕らえてきたのだよ、どこにも傷がついていないようだ。」と、子供は、あひるを大事そうに両腕の間に入れて、いつまでも放そうとはしませんでした。
「焼いて、食べたら、うまかろう。」と、父親は、じっと、ふるえている羽の紫色をした鳥を見つめました。
「俺はいやだ、殺すなんて。」と、子供は、白目を出して、父親の顔をにらみました。
「どうする気だ?」と、父親は、そっけなく問いました。
「おら、飼っておくのだ。」
「ばかめ、そんなもの飼っておいてみろ、おまえが盗んできたことになるぞ。」
子供は、考えていましたが、
「明日殺そうよ。今夜だけ、川の中へ、一晩、足を縛って放しておくから、それならいいだろう?」
「かってにしろよ。」
父親は、無理に今夜あひるを殺すとはいいませんでした。せめて、一晩は、子供の自由にさせておいてやろうと思いました。
「しっかり足を縛っておくだぞ、さあ、この繩でな。」といって、父親は、手ごろなじょうぶそうな繩を取り出して、子供の足もとへ投げました。
子供は、だまって、繩を拾って、あひるの足を結んでいました。もう水の上は、ほの白く夜の空の色を映しているだけで、水ぎわに生えているやぶの姿がわからないほど、暗くなっていました。子供は、しばらく、その暗を透かして、水の面がさざなみをたて、あちらこちら泳いでいる、あひるのようすをながめていましたが、手に握っている、繩の端をいばらの木の根につなぐと、さも満足そうに、小舎の中へもどっていきました。それからのこと、暗がりで泳いでいたあひるは、足についた繩の重みで、身動きができなくなったのか、岸へ上がって、やぶ蔭にうずくまってしまいました。
今夜も、ぶなの木は、悲しい唄をうたいつづけました。たぶん、あひるは、何事も夢のようで、意外であった、この一日のでき事を思い出していたのでしょう、目をぱちくりさして、太いくちばしで、傷のついているらしい、翼の下のあたりをなめながら、気にしていました。そのうちに、つい自分が、どこにどうしているということも忘れて、あの居心地のよかった古巣が、この付近にでもあると思ったのか、急に恋しくなって探しはじめました。しかし、それは、ますます彼の体を窮地に陥れるものだということに気づかなかったのです。