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過ぎた春の記憶(4)

时间: 2022-11-17    进入日语论坛
核心提示:四 空井戸の中を覗くと、真暗(まっくら)であった。けれど、彼は、その井戸はいつかいろいろのもので埋っていて、其様(そんな)に
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 空井戸の中を覗くと、真暗(まっくら)であった。けれど、彼は、その井戸はいつかいろいろのもので埋っていて、其様(そんな)に深くないことを知っていた。
 中には、水がなかったけれど、落葉が溜ってきて、湿気ばんでいた。而して井戸の周囲には、苔が生えて、夜の靄は、この中から浮き上るように天上の方はぼんやりと霞んでいる。
 落葉の匂いが、(ひやや)かに鼻に浸みた。正一は眼を上の方に向けていると円い穴は、直に青い空を円く限っている。ちょうど井戸の上は、青い空に(おお)われているように、他に何も見えなかった。
 眼を上に向けて、もしや、鬼が来て、この中を覗きはしないかと仰いでいたけれど、誰も来て覗いて見るものもなかった。
 その内に、ちらちらと星の輝くのが見え始めて来た。彼は、たとえ誰が来て、上から下を覗いても、中は真暗で見えないから見つかる気遣いはないと思っていた。
 彼は、耳を澄していたけれど、何の声も聞えなかった。もう、今頃は、誰かが見付かった時分であろうと思ったが、皆んなの(わめ)く声も聞えなかった。彼は、()お声を(ひそ)めて、黙って、若しや鬼がこの上の辺りを通っているのではないかと思っていた。
 空の色は、ますます青く冴えて、星の光りがはっきりと澄み渡って来た。
 彼は、何となく心細くなったので、
「もう、いいぞ。」
と、井戸の内から叫いた。
 その声は、穴の周囲に突き当って、上の方へは聞えなかったようだ。彼は、こう叫ぶと誰か来て覗きはしないかと、胸をどきどきさして竦んでいた。
 自然に崩れて落ちる土の塊りが、ころころと転げて来て枯れ葉の上に落ちた。彼は、出て上を覗いて見ようと思った。
 正一は、足を井戸の周囲に踏みかけた。けれど手に掴まる処がなかったので、容易に上ることが出来なかった。彼は、爪で、土を崩した。而して、其処に足をかけて、やっと片手を穴の上にかけることが出来た。
 こんなことをする間にも、時間は余程たって、彼は、幾たびか上りかけては、下に落ちて穴の中で、尻餅を()いた。而して、やっと土に()みれて、井戸の上に出て見ると、もう、誰も、空地には()らなかった。
 四辺は、眠ったようにしんとして、彼は、言うにいわれない頼りない悲しい感じがした。まだ四つか五つの時分、母が使(つかい)にでも行って居なくなった時分がふらふらと浮んだ。ちょうどその時のような(うら)めしい、やるせない思いがした。心のうちで何時(いつ)の間に皆んなは帰ってしまったのだろうと怪しまれた。見渡す限り、白い夕靄がかかっている。その中に、黒い森が、ぼんやりと浮き出ている。彼方の(はたけ)には、ひょろひょろとした(かれ)た木が立っていた。
 正一は、まだ誰か、その辺に残って居りはせぬかと、彼方、此方見廻しているうちに、誰か一人、十五六歩も隔って、白い靄の中に悄然(しょうぜん)として(たたず)んでいるものがあった。
「オイ、誰だい君は。」
と、正一は呼びかけて、その方に歩いて行った。

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