すももの花の国から
小川未明
人々のあまり知らないところであります。そこには、ほとんど、かずかぎりのないほどの、すももの木がうわっていました。そして、春になると、それらのすももの木には、みんな白い花が、雪のふったように咲いたのであります。
その木の下をとおると、いい匂いがして、空の色が見えないまでに、白い花のトンネルとなってしまいました。それは、あまりに白くて、清らかなので、肌が、ひやひやするようにおもわれたのであります。
しかし、ゆけども、ゆけども、白い花のトンネルはつきませんでした。まるで、白い雪の世界をあるいているようなものでした。けれど、雪ではありません。雪は、真っ白でありますが、すももの花は、いくぶん、青みがかっていて、それに、いい匂いがしました。
しまいには、どこが出口やら、また、入って、あるいてきたところやら、わからなくなってしまいました。すると、そのすももの林のなかに、一軒のわら屋がありました。その家には、しらがのおばあさんと、三人の姉弟がありました。いちばん上の姉は、十四で、つぎの妹は、十二で、下の弟は、八つばかりでありました。
この三人は、ほかにお友だちもなかったから、姉弟で、なかよくあそんでいました。
「お父さんや、お母さんは、いつになったらかえっていらっしゃるだろう?」と、妹と弟は上の姉さんにむかってたずねたのです。すると、姉さんは、やさしい目をして二人を見ながら、
「私だって、かすかに、お母さんのかおや、お父さんの顔をおぼえているばかりなのよ。春の晩方のこと、こうして、すももの花の咲いたじぶんに、みんながランプの下で、たのしく、お話をしたことだけをおぼえているのよ。」と、姉さんはこたえました。
二人は、ぼんやりとしたかおつきをして、姉さんのいうことをきいていましたが、
「お父さんは、どこへいかれたのだろう……。」と、弟がいいました。
「お母さんは、どこへおいでになったのでしょう……。」と、妹がたずねました。
すると、姉さんが、
「お父さんも、お母さんも、街のほうへおいでになったのよ。それは、街は、きれいなんですって。そして、いろいろな花が、もっと、もっと、ここよりか美しく咲いているということです。」とこたえました。
「ここよりか?」
「ここには、白い花ばかりですけど、街へゆけば、紅い花や、青い花や、黄色い花が、咲いているといいます。」
「ぼくも、街へいってみたいな。」と弟がいいました。「あたしも……。」と妹がいいました。
「私だって、いってみたいことよ……。もしや、お母さんや、お父さんにあわれないものでもないから。」と、姉がいいました。
そこで、三人は、おばあさんのいなさるところへやってきました。おばあさんは、子供たちの着物のほころびをつくろっていられました。
姉弟は、街へゆきたいということを、おばあさんに話しますと、おばあさんは、
「おまえたちは、このすももの花の林を世界として、生まれてきたのだから、もし、あちらの街へゆくようなら、みんな、そのすがたでは、ゆかれません。そして、もし、あちらの街へいってしまえば、お父さんや、お母さんのように、もう二度とこのすももの花の国へ、かえってくることができないかもしれない。よくよくかんがえてからになさい。」といわれました。
三人は、気をつけてゆきます。そして、お母さんや、お父さんをさがして、きっとふたたび、この家へかえってくるから、どうか、やってくださいとたのみました。
「それほどまでにいうなら、三人の姿をかえて街のほうへ、とんでゆけるようにしてあげよう……。」と、おばあさんはいわれました。おばあさんは、ふしぎな術を知っていました。それですぐに、いちばん年上の姉をちょうに、妹を蛾に、末の弟をみつばちにしてしまったのです。
「さあ、三人は、なかよく、たがいにたすけあい、気をつけてとんでおゆき。」と、おばあさんはいわれました。黄色なちょうと、白い蛾と、かわいらしいみつばちの、三人の姉弟は、白いすももの花の国からたびだって、あちらの街のあるほうを指してとんでいったのです。街には、公園がありました。また、街の郊外には、花園がありました。そして、そこには、かつて見たことのないような、美しい花が咲き乱れいました。
三人の姉弟は、それらの花を一つ一つおとずれて、美しい色をながめ、みつをすって、また香いに酔いながら、楽しく、春ののどかな日をおくったのであります。いちばん上の姉さんのちょうは、あとの蛾とみつばちにいろいろの注意をしました。そして、三人がはなればなれにならないように、とんだのでありました。三人は、こうして、たのしい日をおくるうちにも、お母さんや、お父さんに、どうかしてめぐりあいたいとおもっていました。また、ふるさとのすももの園とおばあさんのこともわすれることができませんでした。ある日の晩方、美しい、花よりも、もっとみずみずしい赤い燈火を、三人は目のまえに見ました。
「あすこに、お母さんや、お父さんが、いなされはしないか。」と姉がいって、三人はそのほうにとんでいきました。
その燈火の下には、男の子や、おじいさんや、また、いろいろの人たちが、あつまって話をしていました。
しかし、三人の、お父さんや、お母さんはいないので、引き返してさらにあちらの花壇のほうへいって、やすらかな眠りに、つこうとしました。
――一九二五・二作――