美しいものには、すぐに飛びついたであろうし、みにくいものは、すべておばけにみえたのでありました。ふたりの子どものみずみずしさにくらべて、このおばあさんは、またなんと、暗く、しなびきって、みじめでありましたでしょう。だれでも、年をとると、これがしぜんの姿であり、この姿は、やがてはてしない暗い方へ向かって歩くものだということをすくなくとも、この子どもらには、知りようがなかったのです。どこか、森の中のお墓からでも、出てきたおばけのようにしか見えませんでした。
「やあ、おばけが泣いてるぞう。」
「泣いたりして、おかしいな。」
このとき、清吉は、
「こら!」と、遠くから、どなりました。
「なんで、おばあさんに、悪口をいうのだ!」
かれは、顔をまっ赤にして、大きな声で、しかると、子どもは、おどろいて、あちらへ逃げていってしまいました。
おばあさんは、おばけだといわれたのが、くやしいのか、それとも、自分の姿が、そんなに見られるのは、もう先が長くないからであろうとさとって、悲しいのか、清吉は、おばあさんの、さめざめとして、泣くありさまを見ただけで、自分までが、罪をおかしたように、からだへ冷たい水をかぶるような思いがしました。
かれは、おとなのこうして泣くのを見る記憶が、これで二度あります。その一つは、おかあさんでした。おかあさんが、あちらの赤い空をみながら、自分の家が、焼けてしまったといって、しくしくないたときです。それから、もう一つは、いまおばあさんが、こうして、泣くのを見たことです。かれは、おばあさんのそばへ近づくのに、勇気がいりました。
「おばあさん、かんにんしておやり。まだ小さいんで、なんにもわからないのだから。」と、清吉は、かろうじていいました。こういっておばあさんを、なぐさめるつもりでした。
けれどおばあさんは、だまって、泣きつづけています。下を向いて、目から、にじみでる涙を、やせた手でふいていました。
「小さくて、まだなんにもわからないのだよ。」と、かれは、同じことをくりかえすより、いうことを知りませんでした。
「わたしも、家を焼かれて、身寄りはなし、知り合いのところで、やっかいになっているが、寒さのため、持病のリュウマチがでて、お薬を買いにいった……。」と、あとの言葉は、よくきこえず、また、泣いていました。
清吉に、おばあさんの心持ちが、わかるような気がしました。だから、自分の言葉に力をいれて、さも自信ありげに、
「ねえ、おばあさん、おばあさんが、黒い頭巾をかぶって、つえをついているので、おばけと思ったのだよ。きっと、そうだよ。いくら寒くても、こっちでは、めったに、頭巾なんかかぶらないから。」
こう、清吉が、いうと、はたして、おばあさんは、胸のわだかまりがとけたらしく、やっと顔を上げました。その顔には、しわがよって、目は、落ちこんでいましたが、かすかに口のあたりへ、笑いをうかべて、
「そうかいな、わしのいなかでは、冬になると、みんな頭巾をかぶるが。ああ、それで、おばけといったのかいな。」と、力のない声で、いいました。
「おばあさんきっとそうですよ。だから、かんにんしておやり。」と、清吉は、かれのせいいっぱいのちえをしぼって、なぐさめました。
「そうだったかいな。」と、おばあさんはもう一度しなびた手で、目のあたりをこすると、ふたたび、つえをつきつき、腰をまげて、歩きはじめました。
霜のとけかけた、ちかちかと光る、一筋の道が、はるかかなたの、煙突や、木立の、黒い棒きれをたてたごとくかすむ、地平線の方へとのびていました。おばあさんは、どこまでいくのであろうか。その道を、だんだんと遠ざかってしまいました。清吉はぼんやり、一ところに立って、そのあわれな影を見送ったのでした。
「戦争が悪いのだ!」
かれの口から、しぜんに、この言葉が、ついて出ました。かれは、空想にふけりながらあちこちと、道を曲がって歩くうち、いつしか電車の通る、幅の広い路へ出たのでありました。
あの夜、ここを通ったのだ、かれは、逃げた日のことを思い出しました。小さな弟を負っている母に手をひかれて、燃え狂う、火に追われながら、この道を、通ったのでした。
やはり、町から郊外へのがれる、人々の群れとまじって、逃げたのでした。
「もう、ここまでくれば、だいじょうぶだ。」
小高い丘のようなところへたどりつくと、みんなは、こういって休みました。
一方では、火のむちで打たれて、狂うように、烈しい風が、暗く、青ざめた、夜の空を苦しそうな叫びをあげて、吹いていました。風は、すこしの間、一息いれると、その後は、かえって、すさまじい勢力をあらわしました。そのたびに、たんぼのむぎや、まわりにしげる木立の枝が、いまにもちぎれて、闇の中へさらわれそうにみもだえしたのです。焼けくずれる町では、花火のごとく、火の粉が高く舞い上がり、ぴかりぴかりとして、凱歌を上げるごとく、ほこらしげにおどっていました。