人々は、あちらの木の下に、一かたまり、こちらのやぶ蔭に、一かたまり、いずれも押しだまって、ただ目だけを、赤く焼ける町の方へ向けて、おそろしいありさまを見守っていました。そのうちひとりが、ちがったところを指すと、みんなが、その方を向きました。へびの舌のように、紅い炎が、ちろちろと、黒い建物の間から、上がりはじめたばかりです。
と思ううち、見る見るすそをひろげて、一方の火と合し、たちまち、あたりは火の海となってしまいました。
「もう、さっきから、どれほど焼けたろう。」
「さぞ、人がたくさん死んだろうな。」
こんな話し声がきこえました。清吉は、いくらがまんしても、からだがふるえて、ぞくぞく寒けがしました。かれは、こんないくじのないことでどうしようと、自分をはげましました。
「おかあさん、あっちの空をごらん。」と、とつぜん、気を転じようと、清吉は、さけびました。
「どうしたの。」と、母は、ききました。
「あそこに、星が出ているよ。」
そこだけが、いつもの静かな夜の景色と、変わりがなかったからです。そこだけを見るなら、地上で、いま、町が焼け、人が死んでいるということが、信じられない気がしました。
そして、このすさまじいあらしにも、猛り狂う炎にも、無関心でいられる星の世界が、あまりにも、ふしぎにみえたのです。色とりどりの星が、たがいに仲よくして、たのしいことでもあるのか、ささやき合うような、また、おどけて、まばたきをしたり、目と目でものをいったりしているようなのが、なんとなく、うらやましかったのでした。自分たちも、星の都へいったら、おとうさんは、戦争にいかなくてもよかったし、いつもみんなが、いっしょに楽しく暮らすことができたであろうにと思いました。
ちょうど、丘の下は、麦ばたけでした。ふさふさした穂が、風のために、波打っていました。
「坊や、なにしてるの。」
母の背中で、目をさました、小さな弟が、頭といっしょにからだをゆり動かしているのに気づいて、清吉は、弟のほうをば、見ました。すると麦ばたけで、破れがさをかぶって手足をひろげた、鳥追いのかかしが、夜も休まずに、番をするのを、弟が、まねているのでした。
「人が、こんなに心配しているのに、坊やはわからないんだよ。」と、母は、目をふいていました。こうきくと、清吉は、なんだか弟が、かわいそうになりました。いたわってやらなければならぬと思いました。
しだいに、東の空が、黄色みをおびて、夜明けが近づいたのであります。この時分から、どこか小川のふちで鳴く、かえるの声が、高く、しげくなりはじめて、さながら、雨が降る音のように絶え間なくきこえてきました。
ひとり去り、ふたり去り、しのびやかに、立ち去る人たちがつづきました。清吉も、こうしているのが心細くなって、母親のたもとにつかまり、
「もう、帰ろうよ。」といいました。
母は、いつまでも、泣いていました。
「おまえ、帰ろうって、どこへ帰るの。もうお家はないんだよ。」と、母の声は、小さく、ふるえました。
「そう、だったか。」と、清吉は思った。そしてこのときほど、自分の母をいたましく、感じたことは、なかったのでした。
「義雄ちゃんのおじいさんが、焼けたら、いつでもこいといったよ。ぼくは、なんでもして、これからおかあさんのおてつだいをするから。」と、かれは、胸の中が熱くなって、母を元気づけようとしても、わずかに、これだけしかいえなかったのでした。
しかし、母は、なんとも答えず、いつまでも泣いていました。かれは、これではならぬと知って、
「おとうさんが、帰れば、新しい家をこしらえてくれるよ。」と、つづけていいました。
しばらくすると、母は、泣きやんで、そでで顔をふきながら、
「おまえがあるから、おかあさんは、もう、けっして泣きませんよ。」と、母は、いったのでした。
清吉は、あの日のことを思い出しました。もしそうでなかったら、きょう、おばあさんをみても、なぐさめようとしなかったでしょう。
「ぼくは、もうおとななんだから……。」
かれは、はりきった気持ちで、胸をそらし、両足に力を入れて、電車道を歩いていったのでした。