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時計と窓の話(2)

时间: 2022-11-27    进入日语论坛
核心提示:家いえへ帰かえると、さっそく、柱時計はしらどけいと、おき時計どけいの時間じかんを見みくらべてみました。やはり、十五分ふん
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いえかえると、さっそく、柱時計はしらどけいと、おき時計どけい時間じかんくらべてみました。やはり、十五ふんばかりちがっていました。いままで、こんな研究けんきゅうをしなかったことにも、がありました。
「おとうさん、あのおき時計どけいは、くるっていますね。」と、ぼくは、ちちにむかっていいました。
「そうか。すすむのか、おくれるのか。」と、ちちは、きかえしました。
外国製がいこくせい正確せいかく時計とけいとばかりしんじて、ラジオのほうをちがっているとおもったのですが、いまると、やはり、おくれているんです。」
そう、ぼくがいうと、ちちは、わらして、
「そんなことをいうと、わらわれるよ。標準時ひょうじゅんじにあわせてあるので、ラジオのほうがいつもただしいのだ。この時計とけいをみがきにやって、ながくかかったのも、そんなことだったろう。……時計屋とけいやでは、したとしたことがないかといっていたから。それでなくても、ながあいだには機械きかいがすれて、くるいがくるので、もう、むかしのように、なおらないかもしれない。」
こう、くと、わたしのいままでのほこりとよろこびは、たちまちきえてしまいました。しかしちちはこういったけれど、まだ時計とけいたいして、いくらか未練みれんっているようでした。
時間じかん正確せいかくでなければ、家宝かほうでも、なんでもありませんね。」と、ぼくがいうと、ちちは、
「しかたがない。なんにでも、寿命じゅみょうというものが、あるからな。」と、さびしそうに、いいました。
「このごろは、日本にっぽんでも、いい時計とけいができるから、そのうち、あたらしいのをってやる。」と、いって、さすがに、ちちは、いつまでも価値かちのないものに、こだわるようすはなかったのです。
わたしは、あまり、あきらめのいいのを、かえってものたりなくさえかんじました。
「おかあさんも、平和へいわかんじのするいい時計とけいだとおっしゃったが、ほんとうにおしいことですね。」と、ちちにむかって、いうと、
「いや、時計とけいは、時間じかんるものだ。かざっておく、こっとうひんではない。もうちっと、っておいで、いいのをってやるから。そのまえに、おまえのへやをなおしたいとおもっているのだ。」と、ちちが、いいました。
それというのは、ことし三年生ねんせいになったいもうとが、まだ自分じぶんのすわるつくえっていないので、いつもちゃのちゃぶだいや、えんがわで、かばんからほんして、勉強べんきょうしているのをて、ははは、かわいそうにおもって、
「よしちゃんにも、一つつくえってやらなければ。」と、いったことがありました。ちちも、
正吉しょうきちのいる、四畳半じょうはんで、二人ふたり勉強べんきょうするにはすこしくらすぎるから、あたらしくまどをつけてやりたい。」と、はははなしているのをきました。
時計とけいよりか、へやのあかるくなるほうがうれしいです。」と、ぼくは、いって、なぜはやく、いもうとのことをかんがえてやらなかったろうと、自分じぶんをはずかしくかんじました。
大工だいくのつごうで、すぐにしてやるよ。」と、ちちがいいました。おもいがけない二つのよろこびが、一にやってきたようで、わたしむねはおどりました。
「こんなに、わたしたちのことをおもってくださるのか。」と、こころのうちで感謝かんしゃしたのです。
ひがしにしかまどがなかったのを、西にしにもまどがつくと、おなじへやとはしんじられないほど、あかるくなりました。しかも、そのまどからは、これまでられなかったもりや、電信柱でんしんばしらや、とおくのたか煙突えんとつまでが、さながら、油絵あぶらえるようににうつったのです。このあたらしい風景ふうけいは、ぼくの気持きもちを、どんなにたせたかしれません。
「これから、うんと、勉強べんきょうができるぞ!」
「にいちゃん、ごらんなさい。あんなにくもがきれいだこと。」と、いもうとが、もりのいただきをさして、びかけました。
「あ、きれいだね。よしちゃん、クレオンで、あのくも写生しゃせいしてごらんよ。」と、ぼくは、こころそらへむかって、とびおもいがしました。
こうして、いきいきとした自然しぜんると、たとえ、どんな平和へいわ景色けしきでも、時計とけいについているうごかないかざりを、感嘆かんたんしてがしなかったのでした。それに、時間じかん不正確ふせいかくとわかると、そばにおくはもうなかったのです。
「こんどは、いい時計とけいが、はやくほしいな。」と、ぜいたくとりながら、いもうとにむかって、わたしは、希望きぼうはなしたのでした。
この希望きぼうも、たちまちたっせられたのは、十何年なんねんまえに、ちちが、おき時計どけいった、古道具屋ふるどうぐや主人しゅじんが、有田焼ありたやきおおきな丸火鉢まるひばちを、とどけてくれたからでした。
「ご苦労くろうさま。」と、ははは、ねぎらいました。
ちちは、おくからてきて、
「この時計とけいですよ、おぼえがありませんか。公使こうしかたかえられたとかいうのですが。」と、主人しゅじんせました。
「そんなことがありましたかな。十ねんといえば、いや、わたしだって、このとおりあたまがはげましたから、時計とけいが、いたむのもむりはありません。このごろ、日本製にっぽんせいでいいのができました。このさい、おとりかえなさるほうが、およろしいかもしれません。」と、主人しゅじんはいいました。
「こんなになっても、ひとがありますか。」と、ちちきました。
「それが、おかしなもので、外国製がいこくせいというので、っていくひとがありますから。」と、主人しゅじんわらいました。
「ただ、かざりにするなら、この時計とけいは、りっぱなもんだ。」と、ちちも、わらいました。
主人しゅじん時計とけいちさってしまってから、わずか二日ふつかばかりのうちに、ちちは、日本製にっぽんせいあたらしいざまし時計どけいってきてくれました。いかにも、はりきっていて、元気げんきよく、めざまし時計どけいは、シャン、シャン、と、ひびきをへやじゅうにたて、くろはりは、数字すうじうえをまことに正確せいかくにさしたのでした。
「このほうが、いいわ。わたしたちまで元気げんきになったようね。」と、いもうとが、ひかった時計とけい見上みあげて、いったのです。
「そうだね、ぼくたちまで、ぼやぼやするなと、いわれているようだね。」と、わたしが、いうと、
「やはり、外国製がいこくせい?」と、いもうときました。
「むろん、日本製にっぽんせいさ。それだから、外国がいこくにまけるな、むだにときをすごされないぞと、いっているじゃないか。」と、わたしこたえて、いま日本にっぽん貧乏びんぼうくるしいのをいもうと説明せつめいして、むかしのようにふたたびがるのには、ぼくたちが、しっかりしなければならぬのを、おしえてやりました。
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