扉
小川未明
一
夜になると、このいくつかの眼に赤く燈火が
壊れたベンチと、傷が付いて塗った机がどの室にも置いてあった。机の上の傷は
Kはベンチに腰をかけたまま何か書いていた。彼は昨夜も食堂に出て来なかった。Bは床を出ると早速Kの室にやって来たが、
Bは自分の室へ帰ってからも、Kのことが気になってならなかった。真白な厚い蒲団の上に肥えた身体を投げ出して
Bには、Kのすることが気にかかってならない。BにはKの言ったことには不思議に反抗が出来なかった。
BはまたKの室の前に来た。中の様子を気遣いながら、腰を
Bは腫れた顔に不安の色を漂わして頭を傾げた。朝の湿った空気の底に灰色の建物は沈んでいて静かだ。Bの眼には蜂の針のように尖ったペンが紙の上を動いて行くのがありありと見えた。動いた
Bは大きな頭を振って、歩いて見たが、もはやこの身体が自分のものでないように運ぶのが
朝飯のベルが、冷たい空気に染み渡った。
Bは、こっちの隅に自分の体を隠すようにして、戸を押して入って来る人を眺めていた。いずれも生気のない顔をして、
Bは気が気でなかった。
やはりKは自分のことを何か書いているのだろう。そうでなければ何を書いているだろう?……まだ後れて来るかも知れないとBは食物も
その
いっそ、「何を書いていますか。」といって何気ない風で、Kの室に入って聞いて見ようか知らん。いや、それはいけない。却って私の顔を見ると、思わなかった悪感を抱いて余計なことを書くかも知れない。また万一、今書いていることが自分の身の上に関したことでなかったのが、自分の顔を見て、印象を強めたために、自分の身の上のことにしてしまうかも知れない。なるたけこの際自分の顔を見せない方がいいと考えた。
Bは一人、建物の外側に出て、石の上に腰を下ろした。空に汚い雲が往来していた。まだ冬が去るには間があった。
青
ずっと遠くへ行けば変った国がある。そしてこんな陰気な思いをせずに住むことが出来るような気がした。Bはそこへは自分の力で行くことが出来ぬと思った。
「やはり、この建物にいるのだ。」といって石から
彼は
Bは、三たびKの室の前に来た。また、障子の孔から覗いた。Kの姿が見えなかった。Bは狂せんばかりに胸が騒いだ。ああ、この時だ。何を書いたか見なければならぬ。
「早く、早く、すぐKが入って来るぞ。」
その囁いた者は、Bの眼にはっきりとその姿は見られなかった。ただ自分よりもずっと体が大きくて、背が高くて、その色が茫漠としていた。別に眼がない。口がない。けれどこの者が囁いたのを不思議と思わなかった。Bは障子を開けて入った。金ペンにはまだインキが乾いていない。書かれた紙の数は分らなかった。Bの眼にはただ虫が紙の上に
文字よりも、金ペンの光るのに気を取られていた。……なにもせず
足音がした! Bは始めて、気が付いてその室を逃れ出た。……振り向いて、病的にもう一度金ペンの光っているのを見た。