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般若の面(2)

时间: 2022-12-08    进入日语论坛
核心提示:二いつしか、二十余年よねんの月日つきひはたちました。空そらの色いろのよくすみわたった、秋あきの日ひの午後ごごであります。
(单词翻译:双击或拖选)
 


いつしか、二十余年よねん月日つきひはたちました。
そらいろのよくすみわたった、あき午後ごごであります。一人ひとり旅人たびびとが、まちほうかえりながら、街道かいどうあるいて、むらほうへきかかりました。は、黄金色こがねいろいろづいていました。小川おがわみずは、さらさらとかがやいて、さびしそうなうたをうたってながれています。木々きぎは、あかくまた黄色きいろにいろどられて、遠近おちこち景色けしきるようでありました。
旅人たびびとは、みちのかたわらにあった、かぶうえこしをおろしてやすみました。そのとき、ちょうどまちほうから、むらほうへゆく乗合自動車のりあいじどうしゃが、しろいほこりをあげてまえとおったのです。かれは、それをると、
「そうだ、二十ねんにもなるのだから、あの時分じぶんわったのも無理むりがない。」と、ひとりでいったのです。
この旅人たびびとは、ずっと以前いぜんに、あらしのばん鍛冶屋かじやをたたいた若者わかものでありました。あの北海道ほっかいどうへゆき、それから、カムチャツカあたりまでかせぎをして、いまは、北海道ほっかいどうでりっぱなみせっているのでありました。
「あの時計とけいは、まだあるだろうかな。いろいろお世話せわになった。あのごおんわすれられん。しかし、あの時計とけいについている、磁石じしゃく般若はんにゃめんは、子供こども時分じぶんから父親ちちおやむねにすがって、見覚みおぼえのあるなつかしいものだ。いまも、あのかざりだけはのこっている。よくおれいをいって、時計とけいをかえしてもらいたいばかりにやってきたのだが……。」
こう旅人たびびとは、むかしおもして、だれにいうとなくいいました。やがて、また街道かいどうあるきながら、みぎひだりて、あらしのばんにいれてもらった鍛冶屋かじやをさがしたのであります。そのばんくらでした。そして、すさまじいかぜおとにつれて、ランプのゆれるのをたのでした。それが、いまはこのむらもすっかり電燈でんとうになっていました。
たしかに、こことおもうところに、一けん鍛冶屋かじやがありました。旅人たびびとは、そのまえって、しばらくためらい、むねをおどらしてなかへはいると、おもったひとえなくて、まだわか息子むすこらしいひとが、仕事しごとをしていたのです。
かれは、むかしのことをこまごまとのべました。
「それで、ご主人しゅじんにおにかかって、おれいもうしたいとおもって、とおいところをやってきました。」とげたのであります。すると、息子むすこは、をまるくして旅人たびびとをながめましたが、
ちちはもう三、四年前ねんまえくなりました。」とこたえた。これをいた旅人たびびとは、どんなにおどろいたでしょう。
北海道ほっかいどうからってきた、いろいろのみやげものをさしして、あらしのよるおもなどをかたり、そして、あの時分じぶんっていただいた時計とけいを、まだおちなさるなら、ゆずっていただきたいとおもってきたことなどをはなしたのであります。
母親ははおやは、としをとって、それに、あいにくかぜをひいて、あちらにふせっていますが。」と、息子むすここたえて、おくへはいったが、やがて時計とけいっててまいりました。
「この時計とけいでございますか?」
旅人たびびとは、なつかしそうにその時計とけいげてながめました。息子むすこは、
わたしは、子供こども時分じぶん、そのくさりについている般若はんにゃめんをほしいといって、どれほど、ちちにせがんだかしれません。しかし、ちちは、これは大事だいじなのだといって、ほかのものは、なんでも、わたしたのめばくれたのに、その磁石じしゃくだけは、どうしてもくれなかったが、なるほど、この時計とけいに、そんな来歴らいれきがあったのですか?」と、むかしおもしていいました。
旅人たびびとは、このはなしいているうちに、自分じぶん子供こども時分じぶん、ちょうど、それとおなじように、般若はんにゃめんをほしがったことをおもしました。そして、このちいさな、一つの磁石じしゃくによって、自分じぶん息子むすことが、おなじように父親ちちおやたいして、なつかしい記憶きおくのあることをふしぎにおもい、なんということなく、この人生じんせいつうずる一しゅのあわれさをかんじたのでありました。
「いくら、むかしおもしても、なつかしいとおも父親ちちおやは、もうかえってきません。せっかく遠方えんぽうからおいでなさいましたのですから、どうか、この時計とけいをおちください。」と、息子むすこがいいました。旅人たびびとは、その言葉ことばをしみじみかなしくかんじました。
形見かたみ時計とけいは、にもどっても、自分じぶん父親ちちおやとてもふたたびこのかえるものでない。自分じぶんは、おろかしくもむかしゆめをとりかえそうとおもっていたのだ。そればかりか、息子むすこゆめをもやぶってしまおうとした。この時計とけいなどは、あのカムチャツカのゆきなかにうもれてしまったものとおもっていればよかったのである……。」こうかんがえると、もうその時計とけいりかえすにはなれませんでした。それから、二人ふたりはいろいろとはなしをして、またたがいにこころしながら、わかれたのであります。
 
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