ぼくは、ずっと、そう思ってきた。イメージ的には、『ありときりぎりす』というお話のきり
ぎりす。何の努力もしないで、やりたいこと、楽しいことばかりして気楽に生きている。勉強
している姿なんて、ほとんど見たことがない。そんな高校生の兄にお説教される日が来るな
んて、考えたこともなかった。
それは、今年の夏休み。ぼくが、英語の予習をしているときのことだった。CD を聞きな
がら発音練習をしているぼくに、母が、
「そんな棒読みじゃなくて、抑揚をつけて。」
と言った。
「抑揚って何? 」
「強弱をつけて読むんだよ。」
「強弱って? 」
「調子を上げたり下げたり???。とにかく、CD のまねして、歌うみたいにするの。」
だんだんいらだってくる母。
「わかんないよ。できないよ。」
ぼくは、大声でさけぶと泣き出した。
兄は、すぐ、二階から下りてきてくれた。
「利基。今習っている英語は、基本中の基本。だいじょうぶ。すぐ、できるから。」
兄は、めずらしく真面目な顔で言った。それからいつものおどけた兄になり、教え始めた。
「英語なんて、の●
り●
の●
り●
で言っちゃえばいいんだよ。ハローハロー。マイネイムイズ?トォ
シィキィ。『トシキ』じゃなくて、『トォシィキィ』だよ。オッケー? 」
ひょっとこみたいな表情の兄。ぼくは、思わずふき出してしまった。そして、
「トォシィキィ。トォシィキィ。オッケー? 」
とやってみた。ふざけて言っただけなのに、
「すっげえ。ちゃんとできるじゃん。完ぺき。」
兄は、大げさにほめてくれた。
兄と英語を勉強するのは楽しかった。まるで、まんざいでもやっているようだった。そし
て、ぼくは、英語が上手になった気がしてうれしかった。
「お兄ちゃんて、英語できたんだね。」
「おいおい。本当に、ただのバカだと思っていたのか。ちょっと待ってろ。」
兄は、二階から、小さな袋を持ってきた。中から出てきたのは、ボロボロになった単語カード
だった。きたない字で書いてあるのが、兄らしい。少しの沈黙の後、兄が言った。
「利基。いいか、よく聞けよ。完ぺきじゃなくていいんだ。全部できなくてもいいんだよ。で
も、やるって決めたことは、ちゃんと頑張らなくちゃだめだ。それからな、男は、人が見てい
ない所で努力をするもんだ。」
「お兄ちゃん、かっこいい。」
思わず言葉がこぼれた。今までに見たことのない、すごくかっこいい兄だったのだ。ぼくは、
大好きだった兄がますます好きになった。
お兄ちゃん、いつもありがとう。大好きだよ。これからも、ずっとずっと、よろしくね。