隠岐諸島(おきしよとう) (島根県隠岐郡)
イザナギとイザナミが生んだ島々
「隠岐諸島」は、島根県北東部、日本海にある島とう嶼しよ群である。島後水道を境にして東の円形の島を島とう後ご、西の知ち夫ぶ里り島・中ノ島・西ノ島を島とう前ぜんと呼び、ほかに約一八〇の小島がある。
ここは古くから〝流る人にんの島〟として知られており、後ご鳥と羽ば上皇、文もん覚がく上人、後ご醍だい醐ご天皇などが流され、日々を過ごしたことでも有名である。そのため、黒木御所跡、文覚窟いわや、後鳥羽上皇御火葬塚などの史跡も多数残されている。
『古事記』『日本書紀』によれば、イザナギノミコト、イザナミノミコトの二神が四番目に生んだという土地で、「隠岐の三みつ子こ州しま」と書かれている。島後が親の島で、島前の知夫里島、西ノ島、中ノ島の三つが子の島ということだ。
この島同士の親子関係でいうと、島前の三つの子島に対して、島後は「沖の島」と呼ばれていた。これが、いつしかこの四島の総称として「おきの島」と呼称されるようになったという。
そのほかの説では、アマテラスオオミカミがこの島の四〇余丈もある大きな木を見て、「美しき御木だ」といわれたことから、「おきの島」と呼ばれるようになったという。
この両説が重なって、隠岐島と呼ばれるようになったことはたしかだが、なぜ、「隠岐」という字があてられるようになったのかは、現在もなお明らかになってはいない。