五十里湖(いかりこ) (栃木県栗山村)
「五十里」とは、江戸からの距離のこと
利根川水系の鬼き怒ぬ川支流男鹿川に建設されたのが五十里ダムで、それに伴って誕生した人造湖が「五十里湖」である。
ダムの名前が五十里だから、付属湖が同じ名前になっても当然だが、ここはダムのほうが湖から名前をもらったという珍しい例だ。
現在の五十里湖は、じつは二代目で、初代は江戸時代に現在のダムの一キロほど上流にあった。一六八三(天てん和な三)年に起こった日光大地震で、山崩れの土砂が男鹿川をせき止めてできた湖だった。
この湖のできた場所から、江戸日本橋までの距離がちょうど五〇里だったことから五十里湖と名付けられ、周辺の村も五十里村と呼ばれるようになる。ところが、四十年を経た長雨の年、湖は決壊して消滅した。
湖は消えたが、決壊が招いた大洪水は一帯に新しい環境をもたらした。水が削った谷は奇岩の峡谷となり、水が引いたあとに温泉が湧いたのだ。これが現在の竜王峡、そして川治温泉であり、鬼怒川観光の幅を広げているのだ。
近代になって一九二六(大正十五)年に、治水のためダムが計画されたとき選ばれたのが、五十里地区であった。当然のように名称は五十里ダムとなり、そして二代目五十里湖が誕生したのである。