黄泉国訪問
妻を取り戻すべく黄泉国へ向かった嘆きの男神
◆黄泉国で繰り広げられた壮絶な争い
イザナミを忘れられないイザナキは、妻のいる黄泉国へと赴いた。
『古事記』では黄泉国は死者の国とされているが、どこにあるかは書かれていない。「夜
見」の意や「闇」の転てん訛かだという説があるが、古代の人は地下にあると考えていた
ようである。
黄泉国にたどり着いたイザナキは、妻イザナミに「まだ国を作り終えていない。一緒に
帰ろう」と誘う。しかし、すでにヨモツヘグヒ(黄泉国の食べ物を口にすること)をした
イザナミは帰ることができない。だがイザナミも夫を忘れがたく、黄泉の神に相談してく
ると奥に姿を消す。待つ間、私の姿を見ないようにと言い残した。
しかし、イザナキは待つことができなかった。持っていた櫛くしの大きな歯を一本折
り、火を灯すと真っ暗な御殿の中へと足を踏み入れてしまうのだ。そして、御殿の奥へと
入りのぞいてみると、そこには、ウジがたかり、頭や胸などには八つの雷の魔物が宿ると
いう変わり果てたイザナミの姿があった。
仰天したイザナキは慌てて逃亡。それを知ったイザナミは、自分に恥をかかせたと激怒
し、逃げるイザナキに対する追っ手として、ヨモツシコメたちを差し向ける。これに対し
イザナキが、黒くろ御み蔓かづら(髪飾り)を投げつけると、それは山やま葡ぶ萄どうに
姿を変えた。ヨモツシコメたちはこれに食らいつき、イザナキはそのすきを見て逃亡す
る。再びシコメたちが追いすがると、イザナキは櫛を追っ手に投げつけた。するとそれが
たけのこに変身し、追っ手がそれらを食べているすきにイザナキは逃げ延びた。
ところが続いてイザナミから生じていた八つの雷神と、一五〇〇もの黄泉国の軍勢が
迫ってきた。イザナキは十 剣を振り回しながら逃げ続けるが、差はぐんぐん縮まってい
く。だが間一髪、イザナキは黄泉国と地上世界を隔てる、黄よ泉もつ比ひ良ら坂さかまで
たどりつき、そこの桃の実を追っ手に投げつけた。すると、軍勢が蜘く蛛もの子をちらす
ように退却していった。
黄泉比良坂は、出雲国のイフヤサカにあたるといわれ、これは現在、島根県の揖いふ屋
や神社に伝わっている。
またイザナキは、「私を救ってくれたように、葦あし原はらの中なかつ国くにの人も苦
悩から救ってほしい」と、この桃に「オホカムヅミ」の名を与えている。
当時、中国思想の影響で、桃には邪気を祓はらう呪力があると信じられていた。桃は、
多産の象徴や不老不死の実であるともされ、生命力の象徴として、霊力あるものとみなさ
れていたのである。
こうしてイザナキは無事黄泉国を脱したが、これで終わりではなかった。怒りに燃える
イザナミが自ら迫ってきたのだ。イザナキは黄泉比良坂を大きな岩で塞ぎ、なんとか難を
逃れた。この岩は比ひ婆ば山やま山中に千ち曳びき岩いわとして伝わっている。
そこへイザナミが追いすがってきた。
巨大な岩で隔てられた二柱の神は、永遠の別離を交わす。イザナミが「あなたの国の人
を一日一〇〇〇人ずつ殺します」と恨みを込めて言えば、イザナキも「一日一五〇〇人の
産うぶ屋やを建てよう」と応じ、日本の国土と神々を生んだ夫婦神は訣別したのであっ
た。
以降、イザナミはヨモツオホカミとして黄泉国に君臨する神となった。
『日本書紀』との違い
コラム アマテラスら三貴子はイザナミから生まれた!?
『古事記』ではイザナキが黄泉国訪問を終えたのち、アマテラス、ツクヨミ、スサノヲの
三さん貴き子し誕生へと移る。だが、この過程は『日本書紀』ではまったく異なってい
る。
『古事記』内でイザナミは、火の神出産の際に死亡し、黄泉国へ去る。その結果、黄泉国
の穢けがれを落とそうとしたイザナキがひとりで三貴子を生み出している。ところが『日
本書紀』本書では、イザナミが亡くなるという記事自体がなく、したがってイザナキの黄
泉国訪問もない。ふたりが仲良く三貴子を生んでいるのだ。
大おお八や洲しまの国くにと山川草木を生み終えたイザナキとイザナミは、今度は天下
を治める者を生もうと相談して、まずは日の神大おお日ひる めの貴むちを生む。この神
がアマテラスである。次にツクヨミ、さらにヒルコを生む。そしてスサノヲを生んだので
ある。
つまり、ここでは二神が仲良く神生みしているばかりかヒルコを入れて、四貴子を生ん
だことになっているのだ。
三貴子誕生説話は、大切な場面のはずだが、なぜこうも違うのだろうか。
実は最も原始的な形は、アマテラスに象徴される「日」と、ツクヨミに象徴される
「月」の分離を伝える神話だったともいわれている。そこにスサノヲやヒルコが入る伝承
となり、その後、イザナミの死が加わり、イザナキひとりによる三貴子化成の話へと発展
していったようだ。
なお、『日本書紀』一書では、三貴子を生んだあと、カグツチの出生によりイザナミが
身み罷まかっている。
葬られた場所は、『古事記』では比婆山、『日本書紀』では紀伊の熊野の有馬村と記さ
れる。これにちなんで三重県熊野市では、花の窟いわやお綱かけ神事という祭りが行なわ
れている。
出雲と熊野は、死者の国という印象で共通しているのだろうか。