【第一章の神々】
須ス佐サ之ノ男ヲノ命ミコト
極めて複雑な性格を持った荒ぶる神
神々の中で最も人間味にあふれ、駄々っ子のような言動でかえって人気を集めているの
が、スサノヲである。
『日本書紀』では、イザナキとイザナミの子として、『古事記』ではイザナキが禊を行
なった際に生まれた神なのだが、海原を治めるよう命じられたにもかかわらず、亡き母を
慕って根ねの堅かた州す国に行きたいと泣き、イザナキには勘当され、さらには高天原で
乱暴を働いて、とうとう姉のアマテラスによって追放される。
「記紀」に登場するほかの神々の言動は概して端正であり、その性格にも破綻はないが、
スサノヲに限っては感情に走りがちで、その行動は奔放で多彩、どこで何をしでかすか分
からない感がある。「泣きいさち荒ぶる神」と表現されるが、「スサノヲ」という名は、
「荒々しい」という意味の「すさび」が語源ともいわれている。
ただし、スサノヲは乱暴なだけではない。イザナキやアマテラスよって叱られたこと
は、身にしみているのである。それで捨てばちになったかのごとく、ますます狼藉を働い
たのだが、ヤマタノヲロチに苦しめられている人々を見過ごしておけず、知恵を絞って戦
いを挑む。そして、ヤマタノヲロチを退治して以降は英雄となり、根の堅州国の支配者に
ふさわしい存在に成長する。
このスサノヲは、出雲の西部の須す佐さという地の首長か、あるいはその地の荒々しい
山神が変化した神だという説がある。須佐一帯は、なかなか大和朝廷に従おうとしなかっ
たため、それがアマテラスを困らせるというスサノヲの性格となったのではないかと考え
られる。また、スサノヲの逸話には、東南アジアからポリネシアにかけての神話や、モン
ゴルからウラル・アルタイ山脈にかけての神話とよく似たものがある。それが何らかの形
で日本に伝わり、スサノヲの物語に取り入れられたのではないかという説もある。
「風土記」からのアプローチでは、『出雲国風ふ土ど記き』と「記紀」神話のスサノヲと
の間に関連性は見られず、むしろその御子神たちに「記紀」のスサノヲ的性格の断片が見
られる。ここから御子神の性格が結合された形で中央に取り入れられたという見方もあ
る。
スサノヲは、古くから厄除けや農業の神として信仰されてきた。神しん仏ぶつ習しゆう
合ごうに伴って疫病の神牛ご頭ず天てん王のうと結びつき、都市に蔓延しては人々を恐怖
させた疫病をはらってくれる神として信仰を集めるようになる。京都府の八坂神社をはじ
め、全国の氷ひ川かわ神社、八雲社、天王社、祇園社で祀られている。