欠史八代
イハレビコ崩御ののちに登場する八人の天皇の存在が示すものとは?
◆皇位を狙うタギシミミが御子の命を狙う
イハレビコ(神武天皇)は皇后イスケヨリヒメとの間にヒコヤヰ、カムヤヰミミ、カム
ヌナカハミミの三子を儲けた。やがてイハレビコが身み罷まかると、アヒラヒメとの間に
儲けた庶長子タギシミミが義母であり父イハレビコの皇后だったイスケヨリヒメを娶る。
この結婚も、当時としては珍しいことではない。とくにイスケヨリヒメは天皇家が祀る三
み輪わ山やまの神の娘である。彼女を妻にするということは、天皇家の後継者たる地位を
手に入れたことの証あかしでもあった。文学博士の中西進氏によると、古代は男性が政
治、女性が祭祀を司り、結婚は祭政一致を意味していたという。
こうして一歩皇位に近づいたタギシミミだが、それを磐ばん石じやくなものにするため
にも皇后の実子である三人の異母弟たちを亡き者にしようと企んだ。それを知ったイスケ
ヨリヒメは夫と子供たちへの愛情との間で苦悩するが、やはり子供への思いは断ちがた
い。嵐がくるという歌に託して三人の御子たちに危険を知らせた。
事情を察した御子たちは、タギシミミの館へ忍び込んだ。ところが、いざ討ち取るとい
う段になって、カムヤヰミミはひるんでしまう。そこで業を煮やした末子のカムヌナカハ
ミミが、タギシミミを討ち取った。そのため、兄たちは遠慮して弟に皇位を譲り、この末
子が第二代天皇(綏すい靖ぜい天皇)に即位する。一方、兄たちは茨まむ田た氏、意お富
お氏など多くの豪族の祖となった。『古事記』の編者太おおの安やす万ま侶ろの太氏(意
富氏)の名が見られるのも興味深い。
この後、第二代から第九代の開化天皇までは事績の記述がほとんどなく、生没年や宮、
系譜などが記録されるだけである。それゆえこの間の天皇は「欠けつ史し八はち代だい」
と呼ばれ、系譜を延長するために作られた架空説が有力である。その意図は定かではない
が、その天皇たちが系譜上、多くの氏族の祖となっている点に手がかりがありそうだ。
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