三輪山の神の祟り
大和に祟りをなすも、子孫の祀りによって鎮まった三輪山の神
◆オホモノヌシの子孫を用いて祟りを鎮める
時代は下り第十代ミマキイリヒコ(崇神天皇)の御世、疫病が流行し、多くの人民が命
を失った。憂慮された天皇が神のお告げを聞くために神かん牀どこに入ったところ、三輪
山のオホモノヌシが夢枕に立つ。
そして、この病の流行は自分の意志だと語り、オホタタネコに自分を祀らせれば、祟り
も収まるとの神託を下す。そこで天皇は、八方手を尽くして河内国からオホタタネコを探
し出して連れてこさせた。
しかし、なぜオホタタネコが指名されたのか。天皇が問いただすと、オホタタネコはオ
ホモノヌシの子孫であるという。納得した天皇はオホタタネコを神主としてオホモノヌシ
を祀らせ、方々にお供えなどをさせた。
すると疫病はなりをひそめ、国は平穏を取り戻したという。祭祀を担当したオホタタネ
コは三み輪わの君きみ、鴨かも氏の祖となった。
ところで、オホタタネコの出自に関しては、次のような伝説がある。
イクタマヨリビメは夜な夜な訪れる美丈夫な青年と親に内緒で契っているうちに、懐妊
してしまった。ヒメは両親にすべてを白状したものの、彼女でさえも男の身元は知らな
かった。そこで親の助言に従って、ヒメはこっそり男の着物のすそに糸のついた針を通
す。翌朝糸をたどってみると、部屋の戸の鉤かぎ穴あなを通り抜けていた。さらにその糸
をたどって行くと、三輪山の社やしろにたどり着いてしまった。男は三輪山の神オホモノ
ヌシだったのである。
オホモノヌシはオホクニヌシと同一視されることもある国つ神の代表格である。ここで
天皇が三輪山を祀る、すなわち祭祀権も掌中に収めたということは、天皇が神祭りも含め
たすべての支配権を掌握したということを示している。