日本書紀』との違い
コラム 三輪山の神が通った巫女を襲う悲劇・箸墓伝説
『日本書紀』では、崇神天皇の時代、少女の歌からタケハニヤスヒコの反乱を予知したの
は、天皇の叔母にあたるヤマトトトビモモソヒメである。そのおかげで天皇はタケハニヤ
スヒコとその妻を討ち取ったのである。
だが、ヒメには悲劇的な最期が待ち受けていた。彼女は霊力を持った女性だったよう
で、この後、三輪山のオホモノヌシの妻となったという。しかし夫は夜にしか姿を現わさ
ない。そこでヒメは夫に朝にあなたの姿を見たいと懇願。するとオホモノヌシは「明日の
朝、お前の櫛箱に入っておくが、驚かないように」と承諾した。翌朝、ヒメが櫛箱を開け
ると、そこには小さなヘビが入っていた。
突然の出来事にヒメが驚き叫ぶと蛇神は人の姿となり、大空を飛んで三輪山に帰ってし
まった。悔やんで座り込んだヒメはその拍子に陰部を箸で突き、身み罷まかられた。
ヒメは大市に葬られたが、その墓は箸はし墓はかと呼ばれ、昼に人が造り、夜は神が
造ったという。
この一連の説話は三輪山伝説と呼ばれ、ヒメの墓・箸墓古墳の起源説話ともなっている。
その箸墓古墳は奈良県桜井市にある。これが『日本書紀』の記述通り、ヒメの墓だとい
う説がある一方、ヒメを邪や馬ま台たい国こくの卑ひ弥み呼こと比定して、卑弥呼の墓と
する説もある。
この古墳からは四世紀のものと思われる遺品が出土している。崇神天皇が活躍したのは
西暦三五〇年頃と推定されるため、ヒメの墓だとすると年代的にはほぼ一致する。
しかし、卑弥呼となると、彼女が魏に遣いを送ったのが、西暦二三九年のことで、さら
に彼女が死んだのは西暦二五〇年頃と、百年以上もの開きが出てしまう。また、様々な文
献からも、これを卑弥呼の墓とするのは難しいといわれている。