『日本書紀』との違い
コラム サホビメの悲劇ののちに語られる諸物の起源
『日本書紀』では、四世紀と推定される垂仁天皇の時代、相す撲もうや埴はに輪わ、伊勢
の祭祀といった諸物の起源が語られている。
相撲の起源には出雲のノミノスクネ(野見宿禰)が登場する。天皇は、タギマノケハヤ
という力自慢の男と組ませるために、やはり勇士と名高い出雲国のノミノスクネを召し出
して勝負をさせた。ノミノスクネは相手を踏み砕き、殺すという圧倒的な強さを見せつ
け、そのまま朝廷に留まって仕えたという。
また、このノミノスクネは埴輪の起源も担っている。のちに皇后ヒバスヒメが亡くなっ
たとき、殉死を禁じていた天皇が葬儀について問うと、ノミノスクネが土で作った人や馬
を献上。これを陵墓に立てて、生きた人の代わりにするよう進言したという。これが埴輪
の起源である。ノミノスクネはそれを評されて、土は師じの連むらじの祖となっている。
ほかにも、伊勢神宮の起源説話が登場する。もともと宮中で祭祀が行なわれていたアマ
テラスであったが、垂仁天皇の時代に天皇の娘ヤマトヒメとともに長い間、鎮座するのに
ふさわしい地を探して何度も遷宮を行なっている。そして伊勢の五十鈴川に来たとき、ア
マテラスがよき地だと言ってこの地に鎮まったという。これは、それまで皇室の氏神だっ
たアマテラスが大和を出ることで、天皇の支配が全国規模に広がったことを示す。
一方の『古事記』では伊勢神宮の始まりはもっと早い。天孫降臨の際、オモヒカネに対
しアマテラスが鏡を自分の分身として祀るよう命じたところで伊勢神宮の始まりとしてい
る。
また、武力強化を示すような石いその上かみ神じん宮ぐうの逸話も残る。第十代崇神天
皇の時代に天剣を宮中から奉納されて創建された石上神宮に、この時代、さらにイニシキ
が剣一〇〇〇口を奉納したという。
この祭祀を担当したのが物もの部のべ氏だ。以降、物部氏がこの武器庫を管理したので
ある。