オホウスの死
天皇の求婚相手を横取りした兄に向けられた弟の殺意
◆天皇の言葉から兄を惨殺する
オホタラシヒコ(景行天皇)は子福者で八〇人にもおよぶ子供がいたが、ワカタラシヒ
コ(のちの成せい務む天皇)、ヲウス、イホキノイリヒコの三人を日ひ継つぎの御子と
し、ほかの御子たちは諸国に送ってしまっていたという。三人のなかのひとり、ヲウスに
はオホウスという兄がいた。
あるとき、天皇は三み野の(美濃)に住まうエヒメ、オトヒメ姉妹が美しいと聞くや、
オホウスを遣いに出して姉妹を召し出そうとする。ところが、逆にオホウスが姉妹にひと
目惚れしてしまい、自らその姉妹と結婚し、天皇には身代わりの娘を差し出した。父をだ
ましたオホウスは、やはり引け目を感じたようで、その後、食事の席に参加しなくなっ
た。業を煮やした天皇は、オホウスの弟ヲウスに「どうしてお前の兄は、朝夕の大御み食
けに出て来ないのか。お前が行ってねぎ教え覚ませ」と命じる。「ねぎ」とは「労ねぎら
い」「慰労する」、または「丁寧に」という意味である。すなわち、慰撫してしっかり教
え諭せという意味である。ところが五日たってもオホウスは姿を見せない。ヲウスに事情
を尋ねると、彼は兄の手足をもぎとって殺害したと自慢気に答えるではないか。天皇も息
子の残虐性に顔色を変える。
ヲウス、のちのヤマトタケルの性質を垣間見る説話だが、ヲウスはなぜ兄を殺してし
まったのか。ひとつは『日本書紀』には天皇がオホウスを「恨みたまう」とあること。そ
んな父の気持ちを察して直情的な手段におよんだのかもしれない。また、土地の娘を横取
りするというオホウスの行動は、王権への反逆という側面もはらんでいた。つまり、オホ
ウスは討伐されるべき存在だったのである。ヲウスは少々乱暴だが、まっすぐな気性を持
つ青年だったのかもしれない。だが、天皇は息子を恐れ、追い出しにかかるのだった。