盟神探湯
病を克服した天皇によって正された氏姓
イザホワケを継いだ弟のミヅハワケ(反はん正ぜい天皇)が崩御すると、その弟ヲアサ
ヅマワクゴノスクネが即位した。第十九代允恭天皇である。こうして、オホサザキの御子
三人が兄弟順に即位したわけだが、この允恭天皇は即位にあたり、一度は「持病があるか
ら」と辞退している。妃や周囲の熱心な懇願で即位したが、その後、新羅王の遣いとして
やって来た薬に詳しい使者によって病は癒えたとされている。
なお、『日本書紀』では、即位の際の天皇の困惑と周りの人々の苦悩がより深い。天皇
は父、仁徳天皇にも病弱だと叱られ、兄たちからも軽んじられていたと即位を強く辞退す
る。しかし、妃の命を賭した懇願に負け、即位を決意している。
こうして、即位した天皇は、盟く神が探た湯ちを行ない、氏姓の乱れを正している。盟
神探湯とは一種の占いの神事である。熱湯が入った釜の中に手を入れて、正しければ火傷
しないが、偽っている者は火傷をする。つまり嘘の姓を勝手に名乗っている者には神の罰
が下るというのだ。その名残なごりか、愛知県の三河地方には今でも「花祭り」という熱
湯をふりかける神事があるという。