【第六章の人々】
大オホ山ヤマ守モリノ命ミコト
ウヂノワキイラツコを殺して皇位に就こうとした応神天皇の皇子
ホムダワケ(応神天皇)の子で、皇后の姉を母として生まれた。弟のウヂノワキイラツ
コは応神天皇によって皇太子に任じられ、オホサザキが太子補となったが、オホヤマモリ
は長子でありながら山川林野の管理という職しか与えられなかった。これを恨みに思って
いたオホヤマモリは、応神天皇が崩じると太子を襲って皇位を奪おうとした。しかし、そ
の計画はオホサザキに漏れ、太子の知るところとなっていた。
オホヤマモリは数百の兵を率いて宇治川を渡ろうとしたが、聡明で聞こえた太子は影武
者を立て、自ら粗末な衣をまとって渡し守に変装し、オホヤマモリを待ち構えていた。何
も知らずにその舟に乗ったオホヤマモリは、舟から落とされて流れの速い宇治川で溺死す
る。
遺体は下流で引き上げられ、このとき鎧よろいが鳴った音から、遺体が揚がった場所は
「考かわ羅ら」という地名になったといわれる。当時は謀反人を国境に葬る習慣があった
といわれ、奈良市法 町にある那な羅ら山墓がオホヤマモリの墓とされている。