『日本書紀』との違い
コラム ソトホリとカルノオホイラツメは別人なのか?
『古事記』では、ソトホリノイラツメを允恭天皇の皇女カルノオホイラツメの別名として
いる。允恭天皇の崩御後に、同母兄であるカルノミコと近親相姦のタブーを犯し、それが
原因で伊予へ流刑となった兄を追い、再会後に心中したと記す。
ただし、ソトホリノイラツメが登場するのは、彼女が歌ったという歌謡の前文中のみ
だ。
これに対して『日本書紀』では、ソトホリノイラツメとカルノオホイラツメは別人とし
て設定されている。
そこでは、カルノオホイラツメは允恭天皇の皇后オシサカノオホナカツヒメの妹として
登場する。『古事記』には、允恭天皇の皇后の妹にあたる人物についての記述は見られな
い。
『日本書紀』によれば、允恭天皇は新居の落成祝いの際に皇后の妹オトヒメを見み初そ
め、妾に召し上げて宮に住まわせたとする。ソトホリノイラツメの名が登場するのは、こ
のオトヒメが召し上げられてからのことで、名が変化するとともに、物語も歌謡物語に転
換している。
天皇の寵愛を受けたソトホリノイラツメはその後、姉である皇后を気遣いながら苦悩の
日々を送る。允恭天皇は盛んにソトホリノイラツメのもとに通ったが、皇后が諫いさめた
ため、以後の行幸は減ったという。
また、『日本書紀』においても、カルノミコとカルノオホイラツメにまつわる悲恋が語
られるが、『古事記』とは若干の相違を見せる。まず允恭天皇の崩御後ではなく、存命中
での逸話。醜聞発覚後に追放されたのもカルノミコではなくカルノオホイラツメであり、
『古事記』でカルノミコが追放されたときの歌も、彼女のものとされている。
その後カルノミコはアナホノミコを襲おうとして失敗し、オホマヘヲマヘノスクネの邸
で自害して果てている。