二皇子の逃亡
危機を察して館から抜け出し、九死に一生を得たふたりの御子
イチノヘノオシハが殺害されたという報告は、オケとヲケというふたりの御子にもすぐ
に伝わった。身の危険を悟った彼らはすぐに逃げ出す。
どうにか山やま代しろ(山城)国の苅羽井まで落ち延び、乾かれ飯いいを食べていたと
きのこと。そこに目の周りに入れ墨をした老人が現われて、食べ物を奪っていってしまっ
た。老人は猪を飼う部民だと名乗った。猪とは野生の猪ではなく、豚を飼っていたもの
で、当時は豚を食べる習慣があったとされる。また、入れ墨は顔に施したものを黥げい、
体に施したものを文ぶん身しんといい、当時は天皇に隷属する部民が階級などを示すとと
もに、氏族を象徴する印としても用いられていたと見られる。
食べ物を奪われたふたりの御子であったが、どうにか河内を抜け播磨へ至った。そし
て、土地の豪族シジムの家に入って、牛飼い・馬飼いに身をやつしたのだった。当時、動
物を飼育したり、食肉用に処理する仕事は、最下層の民に押しつけられていた。ふたりが
牛飼い・馬飼いになったのは、高貴な人がそこまで苦難に陥ったという意味と、そうしな
ければ生き延びられなかった窮乏を物語っている。