暴虐の天皇
人々を苦しめた狂気の大王誕生の背景に隠された政治的理由
◆なぜ暴虐の天皇が描かれたのか?
仁賢天皇の崩御後、即位したのが武烈天皇である。この天皇は、皇太子時代、裁き事や
処罰を好み、法令に明るかった。無実の罪は必ず見抜いて明らかにしたという。だが、以
降の記述は一変し、しきりにいろいろな悪事をはたらいた、善行を行なわず極悪非道の限
りを尽くしたなどと、その人物像がまったく異なるように記録されている。残虐極まりな
い性質で、人々がみな震え恐れたという。これほど悪く書かれた天皇はほかに類を見な
い。
いったいどのような悪事を働いたのか。『日本書紀』に記されているところを列挙して
みよう。
いわく、妊婦の腹を切り開いて胎児を取り出した。いわく、爪を剥いだ人にヤマイモを
掘らせて激痛を与えた。いわく、人を木に登らせて、その木を切り倒して落下させて殺し
た。いわく、女性を裸にして馬の交尾を見せ、その陰部を調べて潤っている者は殺害し
た、などなど……。
武烈天皇はそうした場面を嬉々として見ていたという。まさに猟奇的といえる所業であ
る。
政治においても人々の苦しみを理解せず、自らはひたすら酒色に溺れるぜいたくな暮ら
しを楽しんでいたという。
こうして暴虐の限りを尽くした天皇は、在位八年目にして御子のないままに崩御したの
である。
それにしても、武烈天皇はなぜここまで非道の人物として書かれたのか。一説には、
『日本書紀』の記述すべてが実際の天皇の姿というわけではなく、大幅に加筆されたもの
ではないかといわれる。『古事記』には非道を働いたとする記述も一切見られないのだ。
その参考とされたのは、夏かの桀けつ王、殷いんの紂ちゆう王、戦国時代の宋王偃えん
といった古代中国の文献に登場する数々の暴君の姿ではないかとする見方もある。
その目的は、武烈天皇の御子ではないにもかかわらず、後継者となった継体天皇の即位
を正当化するためだと推測される。
中国の儒じゆ教きよう思想では、不徳の王は子孫が絶えると考えられており、子孫の絶
えた武烈天皇が暴君であればあるほど、継体天皇の即位の正当性が高まるというわけだ。
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