卑弥呼 (ひみこ)
● 活やくした時代 3世紀ごろ 古墳(こふん)時代
● 活やくしたこと
※ 中国(魏)(ぎ)の歴史書「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」をもとにしています。
3世紀頃 100こ近くあった国が、30こくらいにまとめられる。
30この国がさらにまとめられようとしていた。
卑弥呼が邪馬台国(やまたいこく)の女王となる。
卑弥呼は神につかえる巫女(みこ)であり、神のおつげを聞いて国をおさめていた。
卑弥呼はほとんどすがたを見せず、1000人の女性が卑弥呼につかえていた。
239年ころ 中国(魏)(ぎ)に使者をおくる。
魏の皇帝から金印と「親魏倭王(しんぎわおう)」の称号、銅鏡(どうきょう)をもらう。
中国(魏)の力を利用して、周辺の国を従わせようとする。
240年ころ 魏から使者が来る。
243年ころ 魏に奴隷(どれい)や衣(ころも)をおくる。
247年ころ 魏に使者をおくり、邪馬台国が狗奴国(くなこく)と戦っていることを伝える。
魏の皇帝が、邪馬台国を助けるために、使者をおくる。
250年ころ 卑弥呼が死ぬ。およそ200mの大きさの大きな墓がつくられる。
男の王が立つが、邪馬台国にあらそいが起こる。
卑弥呼の娘の壱与(いよ)が女王になる。
● 人 物 評
卑弥呼(ひみこ)にしても、邪馬台国(やまたいこく)にしても、いまだになぞの多い。邪馬台国のあった場所については、長年のなぞとされてきた。邪馬台国が大和朝廷になったのかどうかもわかっていない。ただ、中国(魏)の力をかりて、日本を1つの国にまとめようとした卑弥呼の必死の努力はわかる。卑弥呼(ひみこ)にしても、邪馬台国(やまたいこく)にしても、これからの調査が必要である。