鑑 真 (がんじん)
● 活やくした時代 688年~763年 飛鳥~奈良時代
● 活やくしたこと
688年 中国(唐 とう)の江陽県(こうようけん)で生まれる。
701年 鑑真が僧となり、修行をはじめる。
707年 鑑真が唐(とう)の都の長安(ちょうあん)で修行をつみ、名声が高まる。
仏教の講義をはじめ、育てた弟子は4万人におよぶ。
733年 日本の僧の普照(ふしょう)と栄叡(ようえい)が唐にわたる。
742年 鑑真が日本の僧の普照(ふしょう)と栄叡(ようえい)に会い、日本に渡ることを決意する。
唐は鑑真が国を出ることを禁止したため、密かに日本に向かう。
日本に渡ろうとするが、海賊や暴風雨などにあい5回失敗する。
栄叡(ようえい)が苦労のためなくなる。鑑真は目が見えなくなる。
753年 苦労の末、6回目にして、鑑真が日本に渡る。
754年 東大寺ではじめて授戒(じゅかい 僧としての資格を与える式)を行う。
758年 孝謙天皇(こうけんてんのう)から大和上(だいわじょう)の位を与えられる。
759年 唐招提寺(とうしょうだいじ)を建てる。
763年 死 去(76才)
● 人 物 評
日本は、どういうわけか、日本の文化を発展させようとする熱意ある外国人にめぐまれている。鑑真(がんじん)もその一人であろう。その当時、中国の唐(とう)から見れば、日本は文化のおくれた小さい国である。鑑真ほどの名僧であれば、唐にいれば、僧の中でも最高の位を極めることができたであろう。現に唐は鑑真が国をできることを禁止している。だが、鑑真は、死ぬかもしれない危険をおかしてでも、日本に渡ろうとしている。この時代、海に出ることは生死に関わることであった。遣唐使も12回のうち7回も遭難(そうなん)している。鑑真の熱意には頭が下がる。我々は、このように日本の発展のために命をかけた外国人にも感謝の気持ちが必要であろう。