足利義政 (あしかが よしまさ)
● 活やくした時代 1436年~1490年 室町時代
● 活やくしたこと
1436年 6代将軍足利義教(あしかが よしのり)の次男として生まれる。
1441年 嘉吉の乱(かきつのらん)がおこる。
父 足利義教が家臣に殺される。
兄 足利義勝(あしかが よしかつ)が7代将軍になる。
1443年 7代将軍足利義勝が病死する。
1449年 足利義政が8代将軍になる。
管領(かんれい)が中心となって政治は行う。
1455年 日野富子(ひのとみこ)をつまにむかえる。
日野富子と管領が政治を行う。
足利義政は、政治に参加できず、文化の道に進んでいく。
1461年 全国で大ききんがおこる。
京都だけでも8万人以上がうえ死にする。
これらの状況をほうっておいて、やしきづくり、庭づくりなどに力を入れる。
1464年 弟 足利義視(あしかが よしみ)をあとつぎにする。
1465年 実の息子 足利義尚(あしかが よしひさ)が生まれる。
1467年 応仁の乱(おうにんのらん)がおこる。
足利将軍家のあとつぎあらそいに管領たちの権力あらそいが加わる。
東軍 … 弟 足利義視、細川勝元(ほそかわ かつもと)
西軍 … 子 足利義尚、日野富子、山名宗全(やまなそうぜん)
戦争が全国に広がる。
1473年 応仁の乱の最中、将軍職を子の足利義尚にゆずる。
1477年 細川勝元、山名宗全の病死により、応仁の乱がほぼ終わる。
(全国では、領地のうばいあいの戦争が続いている → 戦国時代へ)
1483年 東山のやしきに移り住む。(東山文化)
茶の湯、能、、水墨画(すいぼくが)に熱中する。
1485年 全国で一揆(いっき)(農民の反乱)がおこる。
1489年 銀閣寺(ぎんかくじ)をつくりはじめる。
1490年 死 去(55才)
● 人 物 評
足利義政(あしかが よしまさ)にとって、最大の不幸は、日野富子(ひの とみこ)をつまにしたことであろう。日野富子と管領が政治を行い、足利義政は政治に参加できないことから、文化の道へにげこんだというところか? 外はききんと一揆(いっき)、内は家族どうしのけんかで現実からにげ出したくなるのもわかる。だが、応仁の乱(おうにんのらん)を引きおこし、100年にもおよぶ戦争の時代(戦国時代)へみちびいた責任は大きい。文化面でのかつやくは、あったかもしれないが、それ以外では救いようがない。これ以後、室町幕府はほろびの道をつき進んでいくことになる。