ペリー
● 活やくした時代 1794年~1858年
江戸時代
● 活やくしたこと
1783年 アメリカがイギリスから独立する。
1794年 アメリカのロードアイランドの港町ニューポートに生まれる。
父も兄も海軍で活やくした海軍一家であった。
1807年 ペリーが海軍少尉(しょうい 軍の地位)になる。
地中海やアフリカ沿岸の海賊(かいぞく)と戦うこともあった。
1814年 ペリーが海軍大尉(たいい 軍の地位)になる。
ペリーが黒人奴隷(こくじんどれい)をアフリカに帰す運動に参加し、黒人を
アフリカに返す船団の指揮をとる。
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この運動がきっかけでアフリカにリベリア共和国が誕生する。ペリーはリベ
リア建国の恩人の一人として尊敬される。
1847年 アメリカ-メキシコ戦争がおこる。
この時、ペリーがメキシコ湾封鎖(ふうさ)司令官になる。
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メキシコ占領後、ペリーがメキシコ市の民政を担当する。
1852年 ペリーが東インド艦隊司令長官になる。
ペリーが日本開国をうながすための日本への使節に任命される。
1853年 ペリーが軍艦(ぐんかん)4隻を率いて、浦賀(うらが 神奈川県)に来航する。
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アメリカ13代大統領フィルモアの国書を江戸幕府にわたす。
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日本は上を下への大混乱になる。
1854年 ペリーが7隻の軍艦を率いて、再び浦賀(うらが)に来航する。
日米和親条約(にちべいわしんじょうやく)を結ぶ。
【日米和親条約】
① 下田(しもだ 静岡県)、函館(はこだて 北海道)の2港を開港する。
② アメリカ船に水・食料・石炭などを供給(きょうきゅう)する。
1858年 ニューヨークで死去(61才)
● 人 物 評
ペリーは日本の歴史に大きな影響(えいきょう)を与えた一人と言っていいであろう。ペリーがとった方法がよかったか、悪かったかはともかく、日本はペリーが浦賀(うらが)にやってきたこの日から歴史の激動(げきどう)の波に放りこまれることになる。これまで、日本は多少の事件はあっても江戸幕府のもとでゆるやかな流れの中にいた。だが、これ以後、日本は江戸幕府がたおれ明治政府へ、そして、朝鮮侵略、世界戦争への参加と流れを急激に加速させていくことになる。ペリーが、浦賀(うらが)に来航しなかったら、今の日本はどうなっていたのだろうか?考えてみるのもおもしろい・・・・。ペリーの功績は、これまで内側ばかりを見ていた日本に外の世界の力を知らせたことであろう。