(二)
かく言ひてながめつつ来る間に、ゆくりなく風吹きて、こげどもこげども、しりへしぞきにしぞきて、ほとほとしくうちはめつべし。楫取りのいはく、「この住吉の明神は、例の神ぞかし。ほしき物ぞおはすらむ」とは、今めくものか。さて、「幣(ぬさ)を奉りたまへ」と言ふ。言ふに従ひて、幣たいまつる。かくたいまつれれども、もはら風やまで、いや吹きに、いや立ちに、風波の危ふければ、楫取りまたいはく、「幣にはみ心のいかねば、み船も行かぬなり。なほうれしと思ひたぶべき物たいまつりたべ」と言ふ。また、言ふに従ひて、「いかがはせむ」とて、「眼(まなこ)もこそ二つあれ、ただ一つある鏡をたいまつる」とて、海にうちはめつれば口惜し。されば、うちつけに、海は鏡の面(おもて)のごとなりぬれば、ある人のよめる歌、
ちはやぶる神の心を荒るる海に鏡を入れてかつ見つるかな
いたく、住の江、忘れ草、岸の姫松などいふ神にはあらずかし。目もうつらうつら、鏡に神の心をこそ見つれ。楫取りの心は、神のみ心なりけり。
(現代語訳)
このように言って、物思いにふけりつつぼんやり眺めながらやって来るうち、急に風が吹き出して、こいでもこいでも後ろに下がるばかりで、危うく沈没しそうになった。船頭が言う、「この住吉の明神は、例の神だ。欲しい物がおありなのだろう」とは、何と当世風であることよ。そして、「幣を奉納されよ」と言う。船頭の言うのに従い、幣を差し上げた。けれども、少しも風は止まず、いっそう強く吹きだし、波もいよいよ立ちに立って危険になってきたので、船頭がまた言うには、「幣では御得心ならないから、船も進まないのだ。やはり神がうれしく思われるような物を奉納なされよ」。再び、言うのに従い、「どうしようか」ということで、結局、「眼だって二つあるのに、たった一つしかない鏡を奉納する」と言って、その鏡を海に投げ込んだものの、何とも残念だ。すると途端に、海は鏡の表面のようになめらかになり、ある人が詠んだ歌、
<荒れ狂う海に鏡を投げ入れて、海をたちまち静める神の威力と同時に、神の欲深な本心まで見てしまったよ。>
ごたいそうに、住の江、忘れ草、岸の姫松などというほどに優美ばかりの神ではないようだ。目にもまざまざと、鏡に紛れもない神の心を見てしまった。船頭の心は、神の御心だったのだ。