(一)
五日。今日、からくして、和泉(いづみ)のなだより小津(をづ)の泊(とまり)を追ふ。松原、目もはるばるなり。これかれ、苦しければよめる歌、
行けどなほ行きやられぬは妹(いも)がうむ小津の浦なる岸の松原
かく言ひつつ来るほどに、「船とくこげ。日のよきに」と催(もよほ)せば、楫(かぢ)取り、船子(ふなこ)どもにいはく、「み船より仰(おほ)せたぶなり。朝北のいで来ぬ先に、綱手(つなで)早(はや)引け」と言ふ。このことばの歌のやうなるは、楫取りのおのづからのことばなり。楫取りは、うつたへに、われ歌のやうなること言ふとにもあらず。聞く人の、「あやしく歌めきても言ひつるかな」とて、書き出(い)だせれば、げに三十文字(みそもじ)余りなりけり。「今日、波な立ちそ」と、人々ひねもすに祈るしるしありて、風波立たず。今し、かもめ群れゐて遊ぶ所あり。京の近づく喜びのあまりに、ある童(わらは)のよめる歌、
祈り来る風間(かざま)と思ふをあやなくもかもめさへだに波と見ゆらむ
と言ひて行く間に、石津といふ所の松原おもしろくて、浜べ遠し。また、住吉のわたりをこぎ行く。ある人のよめる歌、
今見てぞ身をば知りぬる住(すみ)の江の松より先にわれは経にけり
ここに昔へ人の母、ひと日(ひ)片時も忘れねばよめる、
住の江に船さし寄せよ忘れ草しるしありやと摘みて行くべく
となむ。うつたへに忘れなむとにはあらで、恋しき心地しばし休めて、また恋ふる力にせむとなるべし。
(現代語訳)
五日。今日は、やっとのことで、和泉のなだから小津の泊を目指して出発した。松原が目に見える限り続いている。誰も彼もがやりきれなくなって詠んだ歌、
<行けども行けども行き過ぎることができないのは、愛しい女が長く長く紡ぎ出す糸の麻(お)、その名がついた小津の浦の岸の果てしない松原であるよ。>
こう言いつつやって来るうち、「船を早くこげ。天気がよいので」とせきたてると、船頭が、水夫たちに、「御船より命令をいただいた。朝北の風がやってこないうちに、綱を早く引け」と言った。このことばが歌のようであるのは、船頭が偶然口にしたことばだった。船頭は、必ずしも自分が歌のようなことを言ったつもりはない。聞いた人は、「妙に歌らしく言ったものだ」と思い、紙に書き出したところ、ほんとうに三十文字と一文字であった。「今日は、波が立つなよ」と、人々が終日祈ったおかげで、風も波もない。ちょうどその時、かもめが群れ集まって遊んでいる所があった。京が近づく喜びのあまり、ある子どもが詠んだ歌、
<祈りながらやって来て、その風が凪(な)いだと思うのに、どうして白いかもめまで波に見えてしまうのだろう。>
と言って、行くうちに、石津という所の松原がすばらしく、浜辺がずっと遠くまで続いている。また、住吉の辺りをこいで行く。ある人が詠んだ歌、
<今見て初めてわが身を知った。住の江のあの老いた松より先に、私は老いてしまっていたのだ。>
そこで、亡き子どもの母親は、一日半時もわが子を忘れられずに詠んだのは、
<住の江に船をさし寄せておくれ。恋しい思いを忘れさせてくれる効き目があるかと、忘れ草を摘んでいきたいので。>
と。すっかり忘れようというのではなく、恋しい気持ちを少しの間休めて、また恋い慕う力にしようというのだろう。