もとより銀之助は丑松の素性を知る筈がない。二人は長野の師範校に居る頃から、極く好く気性の合つた友達で、丑松が佐久小県(さくちひさがた)あたりの灰色の景色を説き出すと、銀之助は諏訪湖(すはこ)の畔(ほとり)の生れ故郷の物語を始める、丑松が好きな歴史の話をすれば、銀之助は植物採集の興味を、と言つたやうな風に、互ひに語り合つた寄宿舎の窓は二人の心を結びつけた。同窓の記憶はいつまでも若く青々として居る。銀之助は丑松のことを思ふ度に昔を思出して、何となく時の変遷(うつりかはり)を忍ばずには居られなかつた。同じ寄宿舎の食堂に同じ引割飯の香(にほひ)を嗅いだ其友達に思ひ比べると、実に丑松の様子の変つて来たことは。あの憂欝(いううつ)――丑松が以前の快活な性質を失つた証拠は、眼付で解る、歩き方で解る、談話(はなし)をする声でも解る。一体、何が原因(もと)で、あんなに深く沈んで行くのだらう。とんと銀之助には合点が行かない。『何かある――必ず何か訳がある。』斯う考へて、どうかして友達に忠告したいと思ふのであつた。
丑松が蓮華寺へ引越した翌日(あくるひ)、丁度日曜、午後から銀之助は尋ねて行つた。途中で文平と一緒になつて、二人して苔蒸(こけむ)した石の階段を上ると、咲残る秋草の径(みち)の突当つたところに本堂、左は鐘楼、右が蔵裏であつた。六角形に出来た経堂の建築物(たてもの)もあつて、勾配のついた瓦屋根や、大陸風の柱や、白壁や、すべて過去の壮大と衰頽(すゐたい)とを語るかのやうに見える。黄ばんだ銀杏(いてふ)の樹の下に腰を曲(こゞ)め乍ら、余念もなく落葉を掃いて居たのは、寺男の庄太。『瀬川君は居りますか。』と言はれて、馬鹿丁寧な挨拶。やがて庄太は箒(はうき)をそこに打捨てゝ置いて、跣足(すあし)の儘(まゝ)で蔵裏の方へ見に行つた。
急に丑松の声がした。あふむいて見ると、銀杏(いてふ)に近い二階の窓の障子を開けて、顔を差出して呼ぶのであつた。
『まあ、上りたまへ。』
と復た呼んだ。