二七日(ふたなぬか)が済(す)む、直に丑松は姫子沢を発(た)つことにした。やれ、それ、と叔父夫婦は気を揉(も)んで、暦を繰つて日を見るやら、草鞋(わらぢ)の用意をして呉れるやら、握飯(むすび)は三つも有れば沢山だといふものを五つも造(こしら)へて、竹の皮に包んで、別に瓜の味噌漬(みそづけ)を添へて呉れた。お妻の父親(おやぢ)もわざわざやつて来て、炉辺(ろばた)での昔語。煤(すゝ)けた古壁に懸かる例の『山猫』を見るにつけても、亡(な)くなつた老牧夫の噂(うはさ)は尽きなかつた。叔母が汲んで出す別離(わかれ)の茶――其色も濃く香も好いのを飲下した時は、どんなにか丑松も暖い血縁(みうち)のなさけを感じたらう。道祖神の立つ故郷(ふるさと)の出口迄叔父に見送られて出た。
其日は灰色の雲が低く集つて、荒寥(くわうれう)とした小県(ちひさがた)の谷間(たにあひ)を一層暗欝(あんうつ)にして見せた。烏帽子(ゑぼし)一帯の山脈も隠れて見えなかつた。父の墓のある西乃入の沢あたりは、あるひは最早(もう)雪が来て居たらう。昨日一日の凩(こがらし)で、急に枯々な木立も目につき、梢(こずゑ)も坊主になり、何となく野山の景色が寂しく冬らしくなつた。長い、長い、考へても淹悶(うんざり)するやうな信州の冬が、到頭(たうとう)やつて来た。人々は最早あの染(くちなしぞめ)の真綿帽子を冠り出した。荷をつけて通る馬の鼻息の白いのを見ても、いかに斯(この)山上の気候の変化が激烈であるかを感ぜさせる。丑松は冷い空気を呼吸し乍ら、岩石の多い坂路を下りて行つた。荒谷(あらや)の村はづれ迄行けば、指の頭(さき)も赤く腫(は)れ脹(ふく)らんで、寒さの為に感覚を失つた位。
田中から直江津行の汽車に乗つて、豊野へ着いたのは丁度正午(ひる)すこし過。叔母が呉れた握飯(むすび)は停車場(ステーション)前の休茶屋で出して食つた。空腹(すきばら)とは言ひ乍ら五つ迄は。さて残つたのを捨てる訳にもいかず、犬に呉れるは勿体(もつたい)なし、元の竹の皮に包んで外套(ぐわいたう)の袖袋(かくし)へ突込んだ。斯うして腹をこしらへた上、川船の出るといふ蟹沢を指して、草鞋(わらぢ)の紐(ひも)を〆直(しめなほ)して出掛けた。其間凡(およ)そ一里許(ばかり)。尤も往きと帰りとでは、同じ一里が近く思はれるもので、北国街道の平坦(たひら)な長い道を独りてく/\やつて行くうちに、いつの間にか丑松は広濶(ひろ/″\)とした千曲川(ちくまがは)の畔(ほとり)へ出て来た。急いで蟹沢の船場迄行つて、便船(びんせん)は、と尋ねて見ると、今々飯山へ向けて出たばかりといふ。どうも拠(よんどころ)ない。次の便船の出るまで是処(こゝ)で待つより外は無い。それでもまだ歩いて行くよりは増だ、と考へて、丑松は茶屋の上(あが)り端(はな)に休んだ。
霙(みぞれ)が落ちて来た。空はいよ/\暗澹(あんたん)として、一面の灰紫色に掩(おほ)はれて了(しま)つた。斯うして一時間の余も待つて居るといふことが、既にもう丑松の身にとつては、堪へ難い程の苦痛(くるしみ)であつた。それに、道を急いで来た為に、いやに身体(からだ)は蒸(む)されるやう。襯衣(シャツ)の背中に着いたところは、びつしより熱い雫(しづく)になつた。額に手を当てゝ見れば、汗に濡(ぬ)れた髪の心地(こゝろもち)の悪さ。胸のあたりを掻展(かきひろ)げて、少許(すこし)気息(いき)を抜いて、軈(やが)て濃い茶に乾いた咽喉(のど)を霑(うるほ)して居る内に、ポツ/\舟に乗る客が集つて来る。あるものは奥の炬燵(こたつ)にあたるもあり、あるものは炉辺へ行つて濡れた羽織を乾すもあり、中には又茫然(ぼんやり)と懐手して人の談話(はなし)を聞いて居るのもあつた。主婦(かみさん)は家(うち)の内でも手拭を冠り、藍染真綿を亀の甲のやうに着て、茶を出すやら、座蒲団を勧めるやら、金米糖(こんぺいたう)は古い皿に入れて款待(もてな)した。
丁度そこへ二台の人力車(くるま)が停つた。矢張(やはり)斯の霙(みぞれ)を衝(つ)いて、便船に後(おく)れまいと急いで来た客らしい。人々の視線は皆な其方に集つた。車夫はまるで濡鼠、酒代(さかて)が好いかして威勢よく、先づ雨被(あまよけ)を取除(とりはづ)して、それから手荷物のかず/\を茶屋の内へと持運ぶ。つゞいて客もあらはれた。