友人は、母親を亡くした悲しみや痛みを知っているからこそ、彼はあえて黙って見つめていたんだ。ただ静かに見守っていることも大切なことなんだなど、気付かされました。そんな彼の優しい気持ちは、聞くまで伝わることはないし、逆に「冷たい奴」とまで思ってしまう私。まして相手の気持ちを酌み取るなんてことは。
見えたつもり、分かったつもり、理解しているつもりになっている私たちの「冥」という暗闇。その暗闇を持つ私たちを、悲しみ見守っている仏様からの「冥護」。お盆の季節です。情緒のある「すだれ」でもかけて、打ち水しながら、ちょっと自分自身を見つめ直す時間もいいですよね。
正因为那位朋友知道失去母亲的悲伤和痛苦,他才只是默默地凝视。这时我才注意到,仅仅静静地凝视也是非常重要的。在问他之前,我不知道他那善解人意的心情,反而认为他是“冷漠的家伙”,就更谈不上体谅对方的心情了。
我们自以为看到了、明白了、理解了的“冥”的暗处,神佛的“冥佑”怜悯地守护着持有这种暗处的我们。已是盂兰盆的季节了。还是让我们挂起富有情趣的“帘子”,洒一些水,去享受一下反思自己的时间吧。