女性をほめるときには、無条件でほめなければいけない。
「きれいだ。本当にきれいだ。目がいい。鼻がすばらしい。口もとがかわいらしい。ショックだよ」
これがいいらしいのである。
こんな歯の浮くようなことを言ったのでは、あんまり信用されないのではないか、と思うけれど、どうも実情はそうではないらしい。
私は長いことそのへんの事情がわからなかった。それで、だいぶ損をしたような気がしないでもない。
今はむかし、ある女性と知りあった。とても目のきれいな人だった。ちょっと足が太かったけれど、そんな欠点をおぎなって充分余りあるほど美しい目を持っていた。
そこで私は、
「あなたはちょっと足が太いけれど目がすばらしくきれいだ」
と、言ってほめた。もう少しうまい言い方をしたような気もするが、とにかくこういう内容のことを言ったはずである。私としては嘘《うそ》いつわりなく、真実ほめたつもりだった。馬鹿ですねえ。
そのときの私の気持を少し説明すれば——あなたの足はたしかに太い、それは事実だ。つまりボクは事実をありのままに言う正直な人間なんだ。そのボクがあなたの目は美しいと言うのだから、これほど確かなことはない、という心境であった。�足が太いけれど�の部分は、後半の�目が美しい�という命題の、真実性を保証するための前提だったのである。
ところが、当然のことながら、彼女はこんな屁理屈《へりくつ》を理解しなかった。
彼女は黙って聞き流していたけれど、その心中を今にして察すれば、
——目がきれいなことは、あたし、自分でもよく知ってるわ。足が太いなんて、厭《いや》なこと言うわねえ——
だったろう。
何年かたって彼女は結婚し、その後さらに十数年たって私はたまたま彼女のご夫君と仕事の関係で知りあった。
「うちの女房があなたを知っているそうですよ」
説明を聞いて、私はすぐに彼女のことを思い出した。
「あ、知ってます。ものすごく目のきれいな人だった……」
すると彼が首を傾《かし》げて、
「そうですか。あなたには�足が太い�って言われたって、憤慨してましたよ」
ヤッパリ彼女は�足が太い�のほうしか記憶していてくれなかったのである。
べつに弁解するわけではないけれど、男にはひどく照れ性のところがあって、女をストレートにほめることができない。いま私が述べた屁理屈も——つまり�足が太い�ことを告げて、相手を少しこきおろし、そのうえで相手をほめる、といった心境は、かなり多くの男が理解できるものではなかろうか。バーのカウンターあたりでも、ホステス相手にこの手の屈折したお世辞を見かけることは少なくない。
女も、理屈としてこの心境がわからないわけではないだろうけれど、現実問題としてこんなほめ方をして、相手に、
「まあ、この人はなんて知性的なほめ方をするのかしら。すばらしいわ」
と思われることは、絶対にありえない。私はこのごろになって、ようやくそのへんの事情がわかったのである。
イギリスの文人チェスターフィールドによれば、
「美女と醜女は知性を認められたがり、美しくも醜くもない女は美貌を認められたがる」
とか。
なるほど。そんな気がしないでもない。
相手が認められたがっているポイントをしっかり押さえて、そのポイントを無条件に巧みに評価することが、女性に恨まれない第一の原則なのだろう。職場の女性に恨まれたら、サラリーマンはなかなか楽に働くことができない。そうでしょう?