昭和五十六年の初仕事はまことに幸先のよろしいものであった。
東京・日本橋の高島屋デパートが、創業百五十周年の記念事業として正月の十日、十一日に関西から恵比須《えびす》様のご出張をあおぎ、一階に特設祭壇を設けて、恵比須祭をやろう、という計画を立てた。
「商売繁昌じゃ。笹《ささ》もって来い」の掛け声で賑わう恵比須祭は、関西ではおなじみのもの、新春の行事のハイライトだ。
このお祭りでは福娘という、巫女《みこ》姿のサービス係が人気の的。今宮恵比須でも西宮恵比須でもこのお嬢さんがたを一般から公募するのが習慣になっているらしい。
「東京でも実験的に十五名ほど募集してみましょう」
と決まり、デパートとしてはごく控え目に公募したつもりだったらしいが、千五百名近い希望者が集まった。
書類選考で五十五名にしぼり、次は面接試験。平たく言えば、美人コンテストのようなものですね。
小生はその審査員の一人をおおせつかった。初仕事としてはこの上なくめでたく、この上なく楽しいお勤めであろう。
一度に五名ずつのお嬢さんがたが私たち審査員の前に現われ、一分間だけ自己PRのスピーチをおこなう。私たちは履歴書やアンケートの回答などを見ながらスピーチを拝聴し、容姿を吟味し、なにほどかの質問をして、
「どうもご苦労さまでした」
しかるのち点数をつける。点数は十点満点だった。
事前の打ち合わせで、
「どんな人が福娘らしい人なんですか」
「福を授けるわけですから、ヤッパリ明るい感じの、下っぷくれのお多福顔のほうがいいんじゃないでしょうか」
「影のある美人なんて駄目なんですね」
「はい」
私は薄倖《はつこう》の美女タイプにもおおいに関心のあるほうだから、この点は気をつけねばなるまいと、強く戒めて審査会場へ入った次第である。
よほどのことがない限り十点はつけまいと思った。六点以下もつけまいと考えていた。つまり、これぞ福娘にふさわしいと思ったときは九点、あまりふさわしくないなと思ったら七点、どちらでもない場合が八点である。
しかし、他人を審査するというのは、責任が重いような、申し訳ないような、しんどいところのある作業ですね。
できるだけ客観的に眺めようと思うのだけれど、これも一種の美人コンテスト、個人の好みが入るのは仕方ない。たいして審美眼があるとも思えない私の判断で七点をつけられる人には、その都度�どうか気にしないでくださいね�と言いたい気持ちだった。
もっとも志願者のほうは相当にアッケラカンとしたもの。
「スキーに行くお小遣いがほしいので」
「お多福顔のコンテストなら、お前にあってるんじゃないかって言われて」
「今年はなんか今までとはちがったことをやってみたいと思っていたとき、ちょうど広告を見たものですから」
などなどと動機はいろいろ。
恵比須様そのものについては、
「あんまりよく知らないんです。七福神の一人だと思いますけど……」
「商売の神さまなんですか、知りませんでした」
と、いくぶん頼りない巫女さん候補が多かったみたい。
なーに、どうせ二日間のお勤めなのだから、めくじらを立てることもあるまい。
それはともかく、次々に点数をつけていくと、なにやらおのれの好き心を調査されているような気がしないでもない。
だれかが私の点数表を見て、
「へえー、あんなタイプが好きなの。そりゃ完全に中年男のいやらしさよ」
と、みごとに看破されそうな不安が胸に去来してならない。
審査が終わったところで、他の審査員がどんな点数をつけているか興味深く拝見した。とりわけ私が九点をつけた人は、ほかの人にはどう映ったか、この点にはおおいに関心があった。
もちろん評価はさまざまである。
ただ私が九点をつけた人は、たった一人を除いて全部合格した。この結果から言えば、そこそこの審査をしたことになるだろう。
ただし、七点をつけた人の中にも合格者は何人かいて、これは文字通り燦然《さんぜん》と輝く太陽のように明るい娘さん。福娘には、このほうがふさわしいのかもしれない。
つまり、裏を返せば、充分に美しい容姿のかたでも、また知的にすぐれたかたでも、堅い印象、生《き》まじめ過ぎる印象、寂しい印象の人は落選の憂き目をみたように思う。
世間には�薄倖の美女�志向の男性も大勢いるのです。どうぞガッカリしないでくださいね、�五十五引く十五名�のお嬢さんがた。