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三角のあたま15

时间: 2018-03-31    进入日语论坛
核心提示:選挙法私論〓嘘《うそ》は泥《どろ》棒《ぼう》のはじまり〓と言う。 嘘は口でつくものであり、泥棒はやっぱり運動神経が発達し
(单词翻译:双击或拖选)
 選挙法私論
 
 
 
〓“嘘《うそ》は泥《どろ》棒《ぼう》のはじまり〓”と言う。
 
 嘘は口でつくものであり、泥棒はやっぱり運動神経が発達していたほうがいい。この二つは異質の才能のような気もするが、ここで言う泥棒とは悪人の代名詞。嘘をつくのが悪事のはじまりということなら、よくわかる。
 
 だれだって嘘はつきたくない。嘘をつくのは、なにかしら不都合があるから……。その不都合を不都合のままにしておいて、なんとか見せかけだけは取りつくろってしまう。こういうことに慣れると、ろくなことがない。
 
 私の記憶では、昔は、嘘をつくのがもう少し恥ずかしいことだった。もちろん〓“嘘も方便〓”という諺《ことわざ》もあったし、この世の中まったく嘘なしで渡れるほど晴天続きではないと、その事情には今も昔も変りはないだろう。だが、私の実感では、なんとなく……少なくとも今よりは嘘に対するマイナス感覚がなべて昔は強かったように思う。
 
 男は嘘をつかないもの……。いや、いや、男性こそ嘘つきだし、こういう言い方自体女性を蔑《べつ》視《し》していることだろうけれど、昔の男たちは心のどこかでこの気概だけは持っていたように思う。いつのまにか世の中はいい加減になってしまい、
 
「いいじゃない、そんな堅いこと言わなくたって」
 
「しゃれ、ほんのしゃれだよ。野《や》暮《ぼ》なこと、言うなよ」
 
「だれだって嘘はつくんじゃないの。憲法第九条だって嘘だしさァ、世の中もっとわるいことあるよ。核兵器とか……」
 
 嘘に対するとがめだてがめっきり弱くなったように感じられてならない。
 
 嘘というのは、ついた本人だけは、それが嘘であると、よくわかっているはずである。社会のしかるべき立場にいる人が嘘をつき、他人がそれを証明することがむつかしいからといって、さほど痛《つう》痒《よう》を感じないでいるのは本当に不思議である。それをいろいろな形でかばっている人も、同様になげかわしい。
 
 
 
〓“これだけの国民にはこれだけの政治家〓”と言って物議をかもしたのは秦《はた》野《の》章さんだったろうか。この人のロッキード事件の頃の言動を考えると、私としてはあまりよい印象は抱けないのだが、よくも知らない人についてこれ以上は言わない。
 
 だが、それはともかく、この言葉だけは本当だと思う。政治家がよくないのは、やっぱり国民がよくないからである。くやしいけれどこの二つは同レベルと考えるよりほかにない。
 
 それなりの選挙をやっているのだから……。いかがわしい政治家は裁判にかけることももちろん必要だろうけれど、まず選挙で落とせばそれでいい。選挙に落ちるのは、罪ではない。罪人としてのレッテルを貼《は》られることでもない。
 
「もしかしたらあなたに罪はないのかもしれないけれど、いかがわしい噂《うわさ》が出たこと自体少し反省してください」
 
 と、そういうことなのだ。
 
 社会人として普通に生きる権利まで奪うわけではない。
 
 この頃しきりにニュースに登場する贈収賄事件も、あれはもし本当におこなわれたのであるならば、贈るほうも贈られるほうもよくないことは充分承知のうえで、それなりの隠《いん》蔽《ぺい》工作をめぐらし、見つからないようにやっているのである。
 
 子どもの遊びじゃあないんだ。裁判所で白黒を決しようとしても多分に困難なところがあるだろう。〓“疑わしきは罰せず〓”の原則もあるし、これはこれで正しい。選挙で落とすのが一番よいし、少なくとも大幅に票数が減ればそれだけの効果がある。
 
 ロッキード事件では、票数を二倍近くにまで伸ばした人がいたりして……これじゃあ、何度も同じことが起きるだろう。
 
 
 
 政治家はそれほど私腹を肥やしているわけではない。公平に見て私はそう思う。
 
 やばいお金に手を出すのは、選挙にお金がかかるから。そのお金がどこへ行くかと言えば、これも私たち国民の懐である。どういう形で入って来るのか私なんかよくわからないけれど、大口はさまざまな利権と結びつき、小口は東京見物をさせてもらったり、多種多様の形で国民の懐に入っているのである。この点でも政治家だけがわるいわけではない。
 
 いかがわしい人は選挙で落とす。政治と個人の利権を結びつけない。それがどこまでやれるか、これは民度の問題であり、まことに〓“これだけの国民にはこれだけの政治家〓”、その通りだと私は思っている。
 
 
 
 選挙のことに触れたので、もう一つ……。
 
 私にはすばらしいアイデアがある。自治省や選挙管理委員会は、選挙の棄権をなくそうとしていつもやっきになっている。そのためにかなりの予算を使っているだろう。
 
 選挙のあとのニュースでは、かならず投票率のことが話題にのぼり、投票率が低いと、テレビのキャスターも新聞の論調も、こぞって国民の政治的無関心を嘆く。
 
 私のアイデアを実行すれば……おそらく実行されることはあるまいけれど、万に一つでも実行されれば、投票率はかならずあがる。黙っていても選挙は活気を示す。ほとんどお金もかからない。
 
 そのアイデアとは……そう、マイナス投票を認めればいいのである。
 
 現在の選挙は〓“この人に議員になってほしい〓”と、その方角でだけ進められている。
 
 私の提案は〓“この人にだけは議員になってほしくない〓”と、それもマイナスの一票として投票してよいことにする。プラスとマイナスを合計してプラスの多い人から順に当選とするのは、説明するまでもあるまい。
 
 ちょっと問題のあるタレント議員なんかおおいに危い。今の選挙は名が広く知られていることは、すなわちよいことなのである。悪名であろうと選挙でマイナスに作用する度合は少ない。テレビに毎日でも出て名前を知られているほうがよろしい。
 
 しかし、私の選挙法だと、そうとも言えない。知られて損をする場合もおおいにある。
 
 それよりもなによりも、
 
 ——どの政治家もろくなことをやっていない。ああ、馬鹿らしい——
 
 これまでは布団をかぶって棄権をしていたものが、
 
 ——よし、あの野郎を落としてやる——
 
 雪が降っても出て行く。
 
 いかがわしい候補の一人くらい、どの選挙区にもかならずいるのだから。
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