さっきから、ワイワイ、キャーキャー、ペチャクチャさえずっていた娘たちが、急にピタリと静かになったと思ったら、顔の小さい、足の長い、スラックスをはいたポニーテールの娘が、ツカツカとわたしの前にやってきた。
——あのう先生、すみませんけどお立ちになってくださいません。
五メートルほどはなれた窓ぎわで、テーブルをかこんでいた残る五人の娘たちも、いっせいにわたしの方を見つめている。
秋の高原のホテルのロビーでの、ちょいとした出来事である。
六人組の娘たちは、きのう中古の乗用車を乗りつけてきた時から知りあって、夕食に食堂で落ちあった時、わたしだけ持参のウィスキーをのむのもぐあいが悪いので、ビールを三本提供したので、いよいよ親しくなった。どっかの短期大学の学生らしい。もちろん名乗りあったわけではないが、ボーイがわたしのことを先生とよぶので、彼女たちもくみしやすいと見て、なれなれしく先生よばわりしているわけだ。けだし先生とよばれると、こっちは気前がよくなるし、向こうは向こうで安心してタカり、かつ、からかえるものらしい。
なにかコンタンがあるんだろうと思ったが、たいくつしていた時なので、娘たちのたくらみに乗ってやるのも一興だと思って、
——こうですか。
と、フラリと立ちあがった。
するとポニーテールは、しげしげとわたしの下半身をながめている。そのうちに残る五人の娘たちも、いつのまにかポニーテールの後ろに肩をよせ合っている。これまたわたしの下半身をながめては、ボソボソ話しあっているので、
——一体、どういうの。
ときいたとたんに、わあーときた。
——だって、左か右かわかんないんだもん。
ときた。
——二対四で賭《か》けたのに、つまんないわ。
そこで、近ごろとみに感度のにぶったわたしも、ようやく事態を了解した。つまり、彼女たちは、わたしのズボンの中のセックスの位置をサイコロがわりに使ったわけだ。近ごろの娘は、とイキまく前に、ああ、おれの男性も娘たちにとっては、骨細工のサイコロ程度にしか見られなくなったか、と胸つぶれる思いであった。
彼女たちが、セックスの左右を判定できなかったのも無理はない。そもそも、わたしは皇太子殿下と同じ趣味で、ピッタリとしたスタイルを好まず、ユッタリとした英国ふうのズボンを着用していたからである。
ところでズボンをはくようになって以来、日本男性のセックスの位置は、どういうぐあいになっているのか、どうもホテルのロビー以来気になり出したので、懇意《こんい》な近所の洋服屋にきいてみた。
——そりゃあ先生、百人のうちに九十七、八人までは左ですよ。どういうわけかたまには右よりの方がありますがね。つけ根からそうなってるんじゃなしに、くせなんでしょうね。寸法をはかる時にちゃんと見ておいて、そういうぐあいに仕立てるんですよ。……それに案外多いのが、どっちつかずの中ぶらりんというやつです。たいていまあ中年以上の方で、ズボンをぴったりはかず、すこしずり下げてお召しになってるわけです。かっこうなんかどうでもいい、ゆったりした方がいいというんでしょう。
ということであった。
昔、わたしが兵隊であった時は、かならず右|股下《こした》におさめろと強制されたものだったが、国民皆兵制度《こくみんかいへいせいど》の軍隊がなくなって、日本の男性はどうやら左偏向《ひだりへんこう》したらしい。それにしても、どっちつかずの日和見《ひよりみ》主義が、中年以上に多いというのはおもしろい。せちがらい世の中を、見えも外聞もなく生きるようになると、いつのまにか日和見主義が身につくものらしい。そういえばNHKの�お達者文芸�に、
タカでなしハトでもなくて風見ドリ
という川柳があった。世論のぐあいで右がかったり左がかったりするのは、我々庶民だけではないというわけだろう。
それはともかく、今後かような風流ギャンブルをご婦人がたがなさる場合は、右のような事情をのみこんだ上でなさると、また一段とおもしろいことになりましょう。