長年、悪事をともにしてきた老友六人が、めずらしく会飲することになった。サービス係りは昔悪童の一人の兄貴の恋人であったという吉原の老妓と、これもしわだらけのタイコもちの二人を召集し、多摩川《たまがわ》べりの料亭で落ちあった。要するに実行力を失っても、なお意気盛んなりという、口舌《こうぜつ》の徒の負け惜しみのえせ風流である。
ひさしぶりにこうして居ならんで見ると、頭の黒いの、薄はげの、思い切りよくはげたの、それぞれだ。薄はげや丸はげは、男性ホルモンの旺盛《おうせい》な証拠だ、といばっていたが、そのうちだれかが、
——問題は外観じゃない。タイムだ、持ち時間だ。
と言い出した。
——はばかりながら、ぼくなんざ、途中で教育勅語なんぞ拝誦《はいしよう》しなくても、小一時間は持つネ。
と、はげたのが大きなことをいうので、
——六十すぎると感度がにぶって、みんなそうなるんだ。
と、わたしが水をさしたら、すこしショゲて、
——そういえば、近ごろ途中で中折れすることがチョイチョイある。
——つまりソフトになるわけだ。
と、だれかが落ちをとったので、老悪童がいっせいにどっと笑った。中折れ帽子、すなわちソフトをかぶる習慣を失った近ごろの青壮年には、この下《さ》げはわかるまい。
もちろん、これくらいでカブトをぬぐような老悪童ではない。
——きみたちはそういうけどネ。豆腐《とうふ》と鉄とはどっちが物の役に立つか知るまい。
この難問には、さすがの猛者《もさ》連も鳴りをしずめていると、彼はあたりをにらみまわしていったものだ。
——鉄は熱くなるとやわらかくなるが、豆腐はお熱いのに入れると堅くなる。いずれが物の役に立つか自明の理だ。
いずれソフトの悪童連、これにはわが意を得たりとばかり、反対の声はあがらずじまいであった。