鼻息を静々とおん曹司《ぞうし》
おん曹司九郎|判官《ほうがん》義経には、すでに一度壇の浦で登場ねがったが、しかし、それは行きずりのチョンのま、本番ともなれば、苦労をともにした愛妾の静御前《しずかごぜん》といっしょに再登場ねがわねばなるまい。
あのとおりだと静へは浪《なみ》を見せ
静に小声弁慶は野暮《やぼ》だなあ
梶原のザンゲンにあって、兄頼朝に追われる身となった義経は、摂州大物《せつしゆうだいもつ》の浦《うら》から船出して、ひとまず讃岐《さぬき》(香川県)へ渡ろうとする。するとそこまでついてきた静を、この際ふさわしからずと、武蔵坊弁慶が追いかえそうとする。義経と静は離れたくない、となれば、静に小声で、弁慶はヤボだなあ、ということになり、弁慶の目をぬすんで、鼻息を静におさえながら別れを惜しむことにもなったに違いないのである。
捨てられてこれはこれはと静泣き
さて、この四国行きは結局だめになり、吉野《よしの》落ちということになったのだが、この吉野山で静はまたもや追いかえされ、ついに捕えられて鎌倉へ護送された。そこで、松永貞徳《まつながていとく》がはじめた貞門《ていもん》の俳人|貞室《ていしつ》は、「これはこれはとばかり花の吉野山」とよんでいるから、静も捨てられて、これはこれはとばかり吉野山で泣いたろう、と察しのいいところを見せたのである。
弁慶と小町は馬鹿だなあかかあ
なぜだえと武蔵静になぶられる
義経と静の仲を、なにかにつけてじゃました弁慶は、まったくヤボな男で、一生|不犯《ふぼん》、もしくは一生一度のかたい男ということになっている。いつからそういうことになったのか、蕪村《ぶそん》の句に、
花すすきひと夜はなびけ武蔵坊
という句があるところを見ると、男性のシンボルみたいに超人的で豪放な生涯が、古くから女っ気を感じさせなかったものと見える。江戸中期の浄瑠璃《じようるり》『御所桜堀川夜討《ごしよざくらほりかわようち》』(元文二年)の弁慶上使の段では、弁慶が鬼若《おにわか》といった青年時代に、たった一度のころび寝でできた娘の話が出てくるから、もうそのころには、一生一交説が行なわれていたのであろう。
そんな弁慶だから、「弁慶さん、なぜだえ」と静にからかわれる場面もあったろう。すると武蔵坊弁慶は弁慶で、
かのとこは武蔵武蔵と一つぎり
とにがい顔をして、「汚《むさ》し汚《むさ》し」とはき出すようにいったにちがいない。それにしても「弁慶と小町は馬鹿だなあ」と、江戸庶民の寝物語は率直でよろしい。
ながながとご愛読をいただき、まことに感謝にたえません。まだ源平時代が終わったばかりですが、あまり長いはごたいくつ、ここらで筆をおさめさせていただき、今夜はこれから新宿に出て、古なじみの縄のれんでいっぱいやらせていただくとしよう。
縄のれん毛深いように出はいりし
手でおしわけて頭からぐっと入る、縄のれんもまた風情のあるものだ。