業平《なりひら》が為《す》るたび伊勢は帳につけ
なんといってもその道のベテランは、平安朝の六歌仙の一人で、小野小町《おののこまち》とともに日本の代表的美男美女にまつり上げられ、江戸時代になると陰陽《いんよう》の神さま、つまり男女のなかだちをする神さまと仰がれた在五《ざいご》中将業平である。その彼は、
業平は高位高官下女|小娘《こあま》
というぐあいに、それこそ上は皇女たちから下は九十九の婆さんにいたるまで、美醜をとわず、手あたりしだいになぎたおしているのだから、五十四歳までにたわむれし女の数三千七百四十二人という『好色一代男』の主人公世之介と双璧《そうへき》の色豪だ。しかも業平は実在、世之介は絵空事《えそらごと》なんだから、けっきょく彼が第一人者ということになる。せいぜい三、四人の女の子を相手にやに下がっている『梅暦』の丹次郎《たんじろう》など、物の数ではない。
ところで、その業平の愛欲一代記である『伊勢物語《いせものがたり》』は、三十六歌仙の一人である伊勢の御《ご》という女流作家が書いたという説があるので、さぞかし伊勢はノートを持って業平のあとを追っかけまわし、そのつど小まめに書きつけたにちがいないと、まあ週刊誌のトップ屋なみに見立てたわけだ。
筒井筒《つついづつ》そばに蜆《しじみ》と唐辛子《とうがらし》
莟《つぼ》み朝顔おっつける筒井筒
業平がまだローティーンのころ、幼なじみの遊び友だちは、となり屋敷の紀有常《きのありつね》の娘で、いつもいっしょに井戸ばたで遊んでいた。しかしやがて年ごろになると、無邪気に遊ぶわけにもいかないので、
筒井筒いづつにかけしまろがたけ、すぎにけらしなあい見ざるまに
しばらく会わないでいるうちに、ぼくもすっかり大きくなっちまいました、と歌をおくったところが、彼女の方も思いは同じであったと見えて、
くらべこし振りわけ髪も肩すぎぬ、きみならずしてだれかあぐべき
長くなった髪をアップスタイルにしてくれるのは、あんただけよ、などと味な返歌をよこしたので、二人はやっと思いを達した、ということになっている。
だが庶民の興味は、ぐっとさかのぼる。蜆《しじみ》は成長して蛤《はまぐり》となり、赤貝となるアレだし、業平の方はなるほどまだ青い唐辛子《とうがらし》だったろう。だからといって業平ほどのスーパーマンが、なにもしなかったはずはない。まだつぼみの朝顔ほどのをおっつけてみるぐらいのことはしたにちがいない、というわけである。
こうして結ばれた幼なじみの恋人がいるのに、性悪《しようわる》な業平は、河内《かわち》の高安《たかやす》に新しい恋人ができてせっせと通いはじめた。しかし賢妻型の彼女は平気でいるので、業平の方が気をまわして、おれの留守に間男でも引きずりこんでいるんじゃないか、とある晩、出かけるふりをして様子をうかがっていると、
風吹けば沖津《おきつ》白浪たつた山、夜半《よわ》にや君がひとり越ゆらん
と、間男どころか夜ひとり山を越えて行く亭主の身の上を気づかっているので、業平はまた安心してあい変わらず通いはじめた。だから、
とはよんで侍《はべ》れど腹はたつた山
と同情せざるをえない。
ところがある日業平が高安の女のところへ行くと、近ごろ彼女は安心したとみえて、片はだぬぎになって、手前で飯を盛りつけてムシャムシャやっていたので、業平はすっかり憂鬱《ゆううつ》になり、それっきり通うのをやめてしまった。
これはつまり、美意識の問題だ。苦楽をともにしてきた女房ということになると、いくらムシャムシャと大飯《おおめし》をくらったところで、はなからあきらめているんだから、今さら、あいそをつかすはずもない。だがムードが物をいう恋人同士ということになると、そうは問屋がおろさない。
なりふりかまわず、無我夢中でかっこんでいる姿というものは、本能につかれて美意識を見失った姿である。だから江戸時代でも、京都の島原《しまばら》や大坂の新町《しんまち》、江戸の吉原など、粋《すい》だの通《つう》だのといって美意識やエチケットをなによりも大切にした世界では、「納戸飯《なんどめし》」といって、高級な遊女ともなると、いくら親しくなったからといって、客の前で物を食ってはいけない、人目のない納戸でこっそり食うべきだ、というエチケットが守られたのである。元禄《げんろく》時代の西鶴も、『好色一代男』や『好色二代男』の中で、たびたび露骨な食欲のみにくさをいましめている。現代でも結婚の披露宴で、花嫁はなるべく料理に手をつけない方がよろしい、ということになっているのは、愛情を左右する美意識の問題なのだ。
名歌をば知らず河内で待ちぼうけ
ついに凱歌《がいか》は賢妻の方にあがったわけだ。ということになると、これは成女むき道徳教育の好資料ということになろう。
業平の数ある恋の冒険の中でも、二条の后《きさき》をかつぎ出した話は有名だ。ことに追手に追われながら、彼女を背負って芥川《あくたがわ》を渡る場面は、川柳の好題目だ。
やわやわと重みのかかる芥川
下げ髪へすすきのからむ芥川
というあたりまでは、まあまあだが、
芥川すすきの陰へししをさせ
とぶちこわさないと承知しないのが川柳である。
なにしろ業平に関する句は、一千句近くあるので、ここらで切りあげ、女性のベテラン小野小町を取りあげることにしよう。