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日本人の笑い60

时间: 2018-11-04    进入日语论坛
核心提示:  人の上に人を  天は人の上に人をのせて人をつくる「天は人の上に人をつくらず」という福沢諭吉《ふくざわゆきち》先生の名
(单词翻译:双击或拖选)
  人の上に人を
 
 
  天は人の上に人をのせて人をつくる
 
「天は人の上に人をつくらず」という福沢諭吉《ふくざわゆきち》先生の名言があることはご承知のとおりだが、それで思いだした愉快なはなしがある。
 慶応義塾《けいおうぎじゆく》の先生方が、賃上げ闘争をおはじめになってまもなくのことであった。
 ある晩、かねて親しい義塾の先生の一人と、新宿の飲み屋でめぐりあってメートルをあげていると、談たまたま目下進行中の賃上げ闘争のことにおよんだ。
 ——大体ですよ、うちの大学だけじゃない、戦後の私大という私大は、校舎の新築にうき身をやつしているじゃないですか。戦災でやられた分を復旧するのはよいとしてもですよ、戦前以上におっ建てても、まだやめようとせん。その結果が先刻ご存じのとおり、マスプロ大学というわけで、戦前はせいぜい四、五十人を相手に講義していたのが、今ではその四、五倍を相手に講義して、サラリーは戦前よりもぐっと下回っとる。……こんなばかな話ってありますか、これというのも、毎年一億も二億も建物にまわし、人件費の方にまわさぬからですよ。アルバイトをしなけりゃ、セガレを満足に大学にもやれないようなサラリーをそのままにしておいて、建物ばかりいくら作ったって、大学がよくなるわけはありませんや。お宅だってご同様でしょうが。
 お説はいちいちごもっともなので、そのつど相槌を打つかわりに、手酌で乾杯していると、彼は決然としていった。
 ——わが福沢諭吉先生は、天は人の上に人をつくらず、とおっしゃった。そこでですネ。われわれは今度の闘争のスローガンとしてですよ。「天は人の上に建物をつくらず」という福沢精神をかかげるつもりです。
 わたしはすっかりうれしくなって、義塾の応援歌をうたいたくなった。
 権威地におちたりといえども、さすが大学の先生はちがったもんだ。知性とユーモアにあふれているわい、と感嘆これ久しゅうしたもんだが、彼がそのスローガンをかかげたかどうかは、保証のかぎりでない。
 ところで義塾の福沢精神が、いまなお健在であることは、これで了解することができたが、早稲田《わせだ》の大隈《おおくま》精神の方はいかがなものであろうか。ここんところ、運動部が早稲田精神をしょって立った形で、そのほかの学生は今や大隈さんが何県の出身であるかも知らない、というほどに伝統と無縁の存在になってしまっている、と週刊誌などが無責任なことを書きたてていた。
 だがわたしは発見した。早稲田精神はトラックや球場というはなやかな舞台でだけ発揮されるものではなく、ひそひそと、人目につかぬ大学の一隅にも存在している事実を発見した。
 早慶《そうけい》戦がすんでからまもなく、文科系の校舎で午後の講義をすまし、学生も引き上げてひっそりとしたところを見はからい、三階のトイレにはいった。たった一人で心ゆくばかり孤独を楽しみながら、おもむろに顔を上げると、マジックインキで字格ただしく書いた落書きが飛びこんできた。
 ——天は人の上に人をのせて人をつくる。大隈シゲノブ。
 わたしは思わずうなった。本当はここで早稲田のOBとして、老侯を冒涜《ぼうとく》するにもほどがある、とあわてふためいてシズクも切らず事務所に連絡し、消してしまわねばならぬところなんだろうが、あまりの見事さに、応急の処置も忘れて、しばらく鑑賞の時をもった。
 まずもって福沢先生は「人をつくらず」といわれたから、早稲田マンとしては「人をつくる」と対抗したわけだろう。
 もっとも天が人の上にのせる人が、かならずしも男性であるとはかぎらない。近ごろは性知識過剰になって、新婚初夜に花嫁が上位をとり、下なるうら恥ずかしい男性を、文字どおり仰天《ぎようてん》させるケースもあるというから、あに上下の雌雄《しゆう》を問わんやである。
 どっちがどっちであるにしても、結果として人をつくることにまちがいはない。
 福沢先生の名言は、自由民権というイデオロギーの結晶だ。それに対して、この無名の若き早稲田マンの迷言は、イデオロギー以前の人道を喝破《かつぱ》している。かがやかしい早稲田自然主義の伝統は、まだ生きているわい、シゲノブなどと老侯にまぎらわしい署名をしたりしてけしからん若者だが、しかし末たのもしい若者がいるものだと、わたしは、ニンマリとほくそえんだものである。ただし、その後まもなく消させてしまったから、現場一見のご希望に応じられないのが残念だ。
 つぎにまた、これもすでに消されてしまっているが、同じ校舎の四階の男子トイレの目の前の壁に、
  汝《なんじ》は人類の将来をにぎっている
と大書してあったのは、つい去年のことであった。わたしもたまたま、その場所で用をたしたことがあったが、ナポレオンか、ヒトラーか、ともかく地球を掌中におさめたような、壮大な気分にしばしひたったものである。
 落書きはもと、「落とし文《ぶみ》」または「らくしょ」といって、南北朝《なんぼくちよう》のころからはじまったものだ。つまり正しい政治の行なわれない乱世の落とし子で、うっかり政道など批判しようもんならバッサリやられるにきまっているので、命は惜《お》しいし、言いたいことは言いたいという庶民が、風刺的な戯文や詩歌の形式で政道を批判した匿名《とくめい》の文書を、権力者の家の壁にはりつけたり、わざと道に落としておいて口コミをねらったりしたので、「落とし文」といったわけだ。だから専制政治が確立した江戸時代になると、
  落書のこと、おとなは死罪、少人は流罪。
という手きびしい法度《はつと》が、二代将軍|秀忠《ひでただ》の時代、元和《げんな》八年(一六二二)に出ている。国民の声なき声は、やっぱりこわかったものと見える。たとえば、犬公方《いぬくぼう》といわれた五代将軍|綱吉《つなよし》が、補佐役の松平|美濃守《みののかみ》と松平|右京大夫《うきようだゆう》を使って、犬より人間の命を粗末にする政治を強行した時、
  民よりも犬を大事にやしないて美濃さいわいを右京ようなし
などというような落書きが、ジャンジャン行なわれたのだから、当局はゆううつであったにちがいない。
 要するに日本の落書きは、権力政治の落とし子である。だから今日のように、言論の自由、政道批判の自由の保証された時代には、匿名で落書きする必要がなくなったので、落書きはおおむね個人的な欲求不満のハケ口、もしくは、スリルをともなう表現欲の手段となってしまったわけだ。だから現代の落書きは楽書きと書く方がぴったりする。
 しかし、まごまごしていると、テロで言論を封ずる暗黒時代が再来する恐れがある。「らくがき」は落書きでなく、いつまでも楽書きであらせたいものだ。
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