五日ごとに死体が三十個たまる。すると埋葬の車が出る。ここへ来て二回目の埋葬からぼくは立ち会うことを命じられた。
朝早く馬橇《ばそり》が小屋までやってくる。病院から勤務員四人、警戒の兵士が二人、ついてくる。荷台のはしには、地面を掘る鉄棒《バール》やスコップが置いてある。その後ろに処理ずみの死体を、薪の束のように重ねる。
馬橇にはシナ人の馭者《ぎよしや》が黙って坐っており、積み終えると、馬を動かす。この町にはシナ人が商人や労働者としてかなりおり、牧畜しかできない町の人々の間では目立つ存在だった。もっともそのシナ人たちは、実際はシナ人ではなく、ぼくらの間ではノモンハンのときの日本軍の捕虜だという説があった。どういうわけか、彼らは、ぼくらと決して話をしようとしない。この馭者も同じだ。結局本当のことは誰にも分らなかった。
死体埋葬は山のふもとから更に十キロばかり奥へ入った土地で行われた。全く人の気配のない山間のひだに橇は入って行く。途中で急に野犬が増えてくる。この国では、野犬は死体の清掃係とされている。
この国の人は死体を地下に埋葬しないで、荒野の中で目だった木や石のそばへ置いて行く。何日かして見に戻ったとき、きれいに骨だけになっていると喜ぶが、喰い残された部分があると不吉のこととして悲しむといわれている。
だから彼らは、日本人が土の中に埋葬するという習慣が理解できなかった。なかなか許可にならなかったそうだ。
埋葬係の四人は病院の勤務員で、玉木という予備役出身の老少尉がリーダーであった。最初のうちにうまく病院へ入院し、治ってからは、ずっと一年以上この仕事を専門にやって来ていて、道も手順もよく心得ていた。
馬橇は一時間近くかけて埋葬地に着いた。幾らか広い台地になっていた。もうあちこちの物陰には何十匹もの犬が舌なめずりする感じで様子を窺《うかが》っているのが不気味だった。
二人の警戒兵が、その犬たちに向って、何十発もの弾丸が一瞬に飛び出す短機関銃《マンドリン》の引鉄《ひきがね》をひいた。犬の姿は一斉に散った。ぼくらは雪をかき分けて黒い土を露出させると、鉄棒で凍った固い土を砕き、スコップですくい出す、気の遠くなるようなのろい作業をねばり強く続けた。長さ十メートル、幅六十センチの穴を二本作るのだが、鉄棒を突くときは、相手が土なのに固くて火花が散る。ぼくを交ぜて五人が三時間かかって、やっと三十センチぐらいの深さしか掘れない。それでもこの深さまでになると老少尉はいった。
「ああこれでいい」
三十センチの深さならどうにか人間は埋まる。三十人を二つに分けて十五人だ。人間は一人一メートル五十センチはある。十メートルの穴にどうして、十五人が入るのかぼくにはそれが不思議だった。初めてなのはぼくだけなので、ぼくに向って説明するように少尉はいった。
「ええか最初の死体を寝かしたら、その股を開け。骨が割れて、袴下が破れる。きんたまが出ても仕方がない。その股の間に次の者の背中と頭をのせる。そうして詰めて行くんだぞ」
それは一つのアイデアである。一人分の穴が短くてすむ。十メートルに何とか十五人は詰まった。袋に沢山の物を押しこむ感じだった。ぴっちりとはめこまれたモザイク型の死体の上に細片された鉄屑のような土をかけた。いくらか盛り上った土の山の上を今度は皆で乗って踏み固めた。
仕事の間中、警戒の兵たちは遠く離れた場所でそっぽを向いている。彼らも気味が悪いらしい。リーダーの少尉が皆を督励した。
「しっかり踏みつけておけよ。でないと奴らがすぐほじくり返してしまう」
固まった上に附近の雪をすくってかけて、痕跡《こんせき》が分らないようにしたつもりだが、その効果はあったろうか。また近よってきて、回りに見え隠れしている犬たちは、こちらの作業を光った目でじっと見守っている。
警戒兵から短機関銃《マンドリン》を借りて犬を皆殺しにしたかったが、それはできない。他の穴が掘られて喰い散らかされた跡が歴然としているだけに、新しい低い山は際だって目だった。
おそらくぼくらが去った瞬間、四方から野犬が殺到するだろう。現場に心を残しながら、ぼくらはまた馬橇の回りを囲んで、のろのろと山の道を下りて行った。
二回だけ老少尉の指揮で、埋葬に立ち会った後、三回目には彼は、来なくなった。他の勤務員に聞いたら、この間のトラックで吉村隊へ出されたという。大分抵抗し、最後には病院長の部屋に駆けこんで土下座して哀願したがどうにもならなかったそうだ。
代りにぼくが、その後の埋葬の責任者になった。どうやらそのことも最初の予定に入っていて、埋葬に立ち会されてきたらしい。人事としては順当だったかもしれないが、一人の老少尉を死に追いやったようで、しばらく後味がよくなかった。もっとも一年近く楽な仕事をしていたのだから、仕方がないだろうとも、同行の四人の中ではいう人もいた。
こうして十二月になり、その年もまた終ろうとしていた。ぼくはまだ入ったことはないが、病院の正面玄関には、色とりどりの薬包紙を切って、きれいなクリスマスツリーが作られ、何か御馳走も支給されるらしい。軍医とぼくの仕事はその日も順調に終ったが、六体目にはあたりはもう暗くなっていた。
相変らず腎臓を取り、肝臓を切り刻みながら軍医はいった。
「とうとう二回目の正月が来るなあ」
寒さがきびしくなってくるとともに、死者の数も増えてきて、いくら解剖しても、死体がたまるばかりだった。ぼくは暗い気持でいった。
「いつ日本へ帰してくれるのですかね。三年とみてましたが、それも甘い予想でしたかね」
そのときの死体は知ってる男だった。初年兵のときぼくを大分殴った底意地の悪い一等兵だった。作業場で昼休みに小政の怒りの原因を教えてくれた男だ。典型的な栄養失調の餓死だった。収容所からまっすぐ運ばれてきた口だろう。
喉輪に一筋、半円形のメスを入れながら軍医は答えた。
「この間病院長と日本人ドクターとの会食が行われたんで聞いたんだよ。いつ帰してくれるかって。そしたら奴はうまいこといったな。日本は今、食糧事情は大変なんだ。帰っても喰えないから、今しばらくいなさいだと。でも、飯なんぞ喰えなくても、日本へ帰りたいなあ」
「そりゃあ帰りたいですよ。この間の埋葬のとき、勤務員と穴を掘りながら話したんです。今、天皇陛下が、自ら御決心なされて、モスコーのスターリンの所へ、お詫《わ》びかたがた日本人俘虜を一日でも早く帰してくれとお願いするため出発されたという噂がとんでいるのです。本当に陛下が動いてくだされば助かりますかね」
皆天皇陛下のために戦ってきた人々だ。もうすがるものは陛下しかない。このデマにはぼくらの必死の希望がこめられていた。
「それはデマだろう」
軍医はにべもなくいった。
「……我々は陛下にまだ尽したりない。それなのにそんなこと期待しちゃいかんよ。陛下もお気の毒な方なんだから」
そしてまた腹腔を開く作業にかかった。六体目の作業が、何となく重苦しい無言の中に終ったときは、外はもうすっかり暗くなっていた。
死体を倉庫に収納するのを外で待っていた軍医は血に染まった白衣をたたむといった。
「デマといえば、ネック、ホイエルというデマをきいたかね」
「ええ歩哨たちが怖がって、夜の勤務につかないそうですね」
「ああ、実際に顔を青くして持場から逃げ帰ってきて、上官にひどく叱られていた若い歩哨を見たことがある」
ネックとは一、ホイエルは二で、これをくり返すと、日本語でいえば「おいちに、おいちに」と声を出して行進する言葉になる。
軍医は、山間から病院までの空間を虹《にじ》でも描くように指を動かして示した。
「あそこから、こちらにかけてだ。夜になると、白いシャツと袴下だけの日本兵が何百人も一列になって、ネック、ホイエル、ネック、ホイエルと声をかけながら歩いてくるそうだ。松葉杖をついたり、眼窩《がんか》が黒くえぐられた片目の兵もいる。何人かは肩に手をかけ助け合ってやってくる。凍傷で手のとれたのも多いという。蒙古兵の歩哨が泣きながらしゃべっていた」
「それは本当かもしれませんよ。これだけ殺されていちゃ、黙っているのがおかしい」
妙なことはいわないほうがいい。
ぼくの耳にそのときたしかに、その声が聞こえてきた。
「ネック、ホイエル」「ネック、ホイエル」
凝然として山間を見ると、白い衣の一列の兵隊が、山間から並んで出てくるところだった。一番先頭はあの粥を口にこびりつかせた中川老人で、遠くなのに、たしかに粥の粟粒まで見える。
その後ろに何百人続いているか分らない。
それが全くの幻影でない証拠に、隣りにいた軍医までもが、もう口もきけずに、顔を硬張《こわば》らせ、瞳《ひとみ》を見開いたまま、そこに立ちすくんでいた。