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なぜぼくはここにいるのか33

时间: 2018-10-26    进入日语论坛
核心提示:  節約論 戦時中から終戦後の物の不足な時代に少年期を過したせいか、今日になってもどうも貧乏性が抜けきらず、ぜいたくな生
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   節約論
 
 戦時中から終戦後の物の不足な時代に少年期を過したせいか、今日になってもどうも貧乏性が抜けきらず、ぜいたくな生活のしかたがわからない。
 まあ潜在的にはぜいたくな生活にあこがれているのだろうが、現象としてはヒッピーのような生活にもひどく心が魅かれる。もしぼくが現在のような仕事をしていなければ、一方的にぜいたくな生活を享受する方向に走ったかも知れない。
 ところが、物を創作する場合、原点になるようなものが豊かすぎると、どうも強烈な作品が生れないような気がし、ついなにかに欠乏していたほうがいいと考え、自らぜいたくに背を向けようと努力しているようなわけである。
 最近は特殊な本とレコード以外はほとんど物らしい物も買わなくなった。物を買わなくなると癖になって? ほんとうに何も必要としなくなるようだ。意識的に節約しているわけでもないが、実のところ何を買っていいのやらわからないのである。まあもともとたいへんなものぐさだから、自ら体を動かそうとすることは珍しい。ぼくの場合は家庭内でもそうだが、仕事の面でも他人がハッパをかけてくれなければ右のものを左に動かすのも面倒なくらいの性格である。
 だからくつ下の底が破けても、新しいものを買うのが面倒だから、そのままにしておくといつの間にか、ツギがあてられており、そのツギはぎのくつ下をはくことにも別になんの抵抗もないのだ。だから他人がぼくのツギのあたったくつ下の底を見ながら感心してくれるが、ぼくにはこのことが節約の意識に少しもつながらないので、感心されてもちょっと困ってしまう。
 いつの間にか物を求めるより他に別のものを求めるようになったから、ついつい生活そのものが自然に節約されるようになったのかも知れない。節約といっても、外出のときはほとんどタクシーだし、ちょくちょく外国にも旅行するし、仕事場のスペースは広くなければならないので、つい家賃の高い家に住むようになり、これじゃちっとも節約ということにはならないかも知れないが……。
 生活がやっと豊かになりはじめたのは五、六年前からだ。だから当時外国に旅行したさいなどあり金[#「あり金」に傍点]全部を洋服やアンチークの買物に使い果していたが、現在はそんな趣味はピタリと止まってしまった。目下、宇宙のことや古代文明への関心が日ましに強くなってきているので、ただただ頭の中でいろいろ想像するだけで、未来へも過去へも行け、それを絵にするだけで結構楽しめるので、別に物を必要としなくなったのかも知れない。
 しかし人間なんてもともと欲望に弱いものだけに、ちょっと油断するとそのとりこになってしまう。こうした人間の弱さを知っているだけに、ぼくは自らをこの欲望で失いたくないので、常に自分を客観的にながめるように気をつけている。宇宙的なるものへ関心を抱くようになったのも、自らの悪に対する歯止になるのではないだろうか、と考えるからである。
 このエッセイのテーマは節約論[#「節約論」に傍点]であるが、現在横行している節約ブームに便乗しろとは決していわないが、人々がもし苦しんでいるならば、それは個々の欲望に原因しているのではないだろうか。貧しい人々だけが悩みがあるわけではない。大金持になればなるほど、失いたくない財産に執着する巨大な悩みがあるはずだ。
 節約ということばの中には、何か強制めいたものを感じて、ぼくはあまり好きではない。自らが精神的なものと物質的なものとのどちらにウエイトをかけるかによって節約ということばも自然に活性化されてくるはずである。
 
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