三
望楼《やぐら》の上からは絶えず大声が放たれている。姫路方面の状況を刻々に下へ向って告げているものだった。
この頃、陽はようやく、朝雲をやぶって、視界を仄《ほの》かに染めていた。
広庭の床几場は、侍小頭の室木斎八と物頭の今津源太夫のふたりが、城兵五十人ばかりで、固めに着き、この部署には、ほとんど、いわゆる毛利加担をひそかに抱く疑いある者は一切近づけなかった。
また、官兵衛の指揮によって、否応なく城外へ出て行った蔵光正利《まさとし》、益田孫右衛門、村井河内などという歴乎《れ き》たる諸将で、しかも毛利方と通謀している物騒なる味方には、官兵衛の股肱の母里太兵衛とか、栗山善助などの豪胆者をひとりひとり隊に付けて、万一、不審な行動に出たときは、即座にその部将と刺し交《ちが》えて死ぬべしと、官兵衛は先にいい渡してある。
「まず、味方内の整えはこれでついたが」
官兵衛は兵糧方が配っていた玄米《くろごめ》の握り飯を一つ持って、床几場の陣幕《とばり》外《そと》に立ってむしゃむしゃ喰っていた。思えば今暁《こんぎよう》の一刻こそ、実に危うい境ではあったと、今更ほっと吐息が出てくる。
「否々《いやいや》、まだほっとするには早い。合戦は正《まさ》にこれからだ」
と、心のうちですぐ戒《いまし》めた。そして五指の飯粒を唇で拾って喰べ終った。
そこへ彼が今朝、真っ先に命じて、山地の方へ偵察にやった腹心の後藤右衛門が、馬鞭《む ち》を手に大汗かいて帰って来た。
復命して、彼は、官兵衛の前にいう。
「ご推察にたがわず、三木城の別所長治《ながはる》の手勢にちがいないものが約三百名、北方二里ほど先のご領外まで潜行しており、あの辺の林や山に潜んで、ひたすらこの御着《ごちやく》の城内から内応の合図があるのを待ちかまえておる様子でございまする。そのほか西方の浮田城の境にあたる方面には、異状はないようにござりまする。——が是《これ》とて、万一当城に煙が揚がるような変を見たら、どう動いてまいるかは測り知れませんが」
「後の手当は?」
「ご指揮にしたがい、喜多村六衛が士卒百五十を率いて、三木勢の動静にそなえ、長田三助は、七十名をつれて、他の境を怠りなく監視し、途中の連絡には、三原隼人が足軽を配して当っております」
「よしっ。そちはここに立て。ご床几を守って」
官兵衛は身を転じて、自身、望楼の上へのぼって行った。今朝の彼は自分の体が幾つあっても足らないような姿である。そこに立って、姫路方面を望めば、朝の陽も暗いほど黒煙が漲《みなぎ》っている。
北方の山地は、何事もないように空も澄んでいるが、彼の眼には、その雲の下、山の皺《しわ》、沢の蔭などに、より怖るべき敵のあることが、目に見るほど明らかだった。
この播州において、最も強力で、そして明白に毛利の一類たることを、揚言しているものは、奥地の北《きた》播磨《はりま》に三木城の嶮を構えている別所長治の一族である——夜来、姫路の海面に迫って、ついに上陸したという毛利本国の水軍とその三木城の山岳兵とは、巧妙な計画のもとに、呼応して海陸協同作戦に出て来たものであることはいうまでもない。
敵は一揉みと、信じて来たろう。おそらくこの御着城の占領には、半日をも費やすまいと考えたにちがいない。
なぜならば、この城が、その程度の兵力と要害しか持たないものであるばかりでなく、外より攻めずとも、内に有力なる毛利の内応者がいるからである。
「姫山の父上には、如何《いかが》あそばしておられるか。松千代とてまだ幼いし」
兵燹《へいせん》の黒煙みなぎる空を見ては、彼とて老父の身辺や、妻子の身を想わずにいられなかった。そしてそこにある家の子郎党たちの苦戦を思いやった。
望楼を降りて来ると、出会いがしらに、衣笠《きぬがさ》久左衛門とばったり会った。勿論《もちろん》、久左衛門は姫路から馬をとばして来たのである。それを意外として、官兵衛は責めるように訊ねた。
「なぜ姫路を捨てて来た。今や激戦の最中であろう。彼処《かしこ》を破られてはここも危急にせまる。そち達の死場所はここでない筈だが」
「いや、宗円様には、御着こそ不安なれ、姫路は大事ない、見て来いとの、烈しい仰せで、そのため一鞭打って、戦局をお告げし、また当城のご様子を伺いに来たわけです」
「こここそは、お案じあるなと、お父上へ確《しか》と申しあげてくれ、官兵衛は宗円の子でございますとな」
「はい、かしこまりました」
「行け行け。ここは見た通りだ。鉄壁《てつぺき》である」
「はいっ。では」
去りかけるのを、また呼び止めて、
「町屋組《まちやぐみ》の面々も働いておるか。玲珠膏《れいじゆこう》の井口与次右衛門もつつがないか」
「総出で奮戦しておりまする」
「そうか。さらば先ずよろしかろう」
彼が頷いたのを見て、衣笠久左衛門はふたたび姫路へ引っ回《かえ》して行った。