二
心と心の交《まじ》わりは、そこに一壺の酒を置かなくても、話に倦《う》むことを知らなかった。折々、どこからか舞って来る山桜の花びらを縁先に見つつ、終始、ふたりの話は軍事に限られていたようであったが、やがてふと、半兵衛重治からこう訊ねた。
「先頃は、度々《たびたび》のご戦功に依って、筑前様から名馬書写山をご拝領になったそうですが」
「されば、過分なご恩賞でした。けれど、それがしの功はまったく部下の働きに依るもので、家臣の中の母里《もり》太兵衛にふたたび授《さず》けてしもうたので、殿には、何と思召されているやら、実は、恐れ入っているわけですが」
「いやいや、あの儀に就ては、何とも思ってはおられません。しかし私が気にかかるのは筑前様より御辺《ごへん》へ宛てて、兄弟同様に思うぞというご意中を書かれたお手紙の参っていることですが」
「左様。そういう勿体ない御意を書中に拝したことはあります。それが、どうしてお心に懸かるのであるか」
「今も、そのご書面は、お手許にありますかの」
「家宝《かほう》にもせばやと存じて、常に携えておりますが」
「あらば、重治《しげはる》に、一見させて下さいませぬか」
「おやすいことである」
と、官兵衛はすぐ具足櫃《ぐそくびつ》から取出して示した。
すると半兵衛重治は、つらつら黙読していたが、読み終ると、黙って、炉の中へそれを燻《く》べてしまった。
「……あ?」
官兵衛が愕きを洩らした時は、もう一片の白い灰となっている。さすがの彼も少し面を変えて難詰《な じ》った。
「それがしに取っては、又なき君恩の品、唯一の家宝ともしておる物を、何で火中へ投じられたか。御辺にも似あわぬ不躾《ぶしつけ》な所業。何かおふくみあっての事か」
すると半兵衛重治は、すこし膝を退《さ》げて、詫び入る体《てい》で静かに諭《さと》した。
「ご賢明なあなたのことゆえ、すぐお悟りがつこうと存じて、つい逸《はや》まったことをいたした。これも友の情けと、お宥《ゆる》しください」
「どうして、これが、友の情けでござるか」
「さらば、かようなご誓文を、大事にして置かれては、末々、仕《つか》えるお方に対して、かならず不足も起り、不勤めにもなるものでござる。——その不足不平は結局、ご自身を破る因《もと》とはなり申すまいか。殿の御為《おんため》を思い、あなたのご家門を思い、双方のために、要なきものと存じ、焼き捨てた次第です」
「ああ。……正に」
官兵衛ははたと膝を打って、友の言に思わず感涙をながした。臣子の分というものを、このときほど痛切に教えられたことはない気がした。
重治はよろいの袂《たもと》を探って、べつに一通の書面を取出した。そして、凝然《ぎようぜん》と悔悟《かいご》に打たれている官兵衛の手へそれをそっと渡して告げた。
「せっかくお大事にしていたものを失って、お心淋しくおわそう。これはそれにも勝る書面かと思われる。あとで緩々《ゆるゆる》ご覧下さい」
薄暮《はくぼ》の空を見て、半兵衛重治はやがて辞し去った。来るも去るも「静」という一語に尽きる人だった。官兵衛は陣門までその姿を見送り、その縁まで帰って来ると、手に持っていた物に気づいて、
「——誰の書状か」
と、そこに腰かけたまま、封を切ってみた。
わが子、松千代のてがみだった。
安土へ質子として連れて行って以来、明け暮れ、忘れようとしても、つい戦陣の夢にもみる十一の子の幼い文字ではないか。
中には、稚拙《ちせつ》な文字と、天真爛漫《てんしんらんまん》な辞句で、自分の近況が書いてある。
竹中半兵衛さまの美濃《みの》の菩提山《ぼだいさん》のお城は、姫路のお城より高い山にある。冬は雪が深く、春は遅い。初めは淋しかったが、家中の人はみな私を大事にしてくれるし、家中のものの子ども達は、私の勉強のあいてに、毎日、大勢してお城のうちに集まって来るので、この頃は淋しくも何ともない。
——というような意味をつづり、また、末のほうには、
(わたしもお父上と一緒に、はやく戦場に出ていくさをしたい)
とも書いてあった。