三
ふもとまで来ると、官兵衛はうしろを振《ふ》り顧《かえ》った。
「太兵衛。見送りはここでよい。もう帰れ」
きょう半日、母里太兵衛は、駒について歩いていたので、主人の行く先の、またその胸の、ただならぬことを薄々感づいていた。
「いや、ずっとお供いたしましょう。姫路までも、御着までも」
「よいと申すに!」
官兵衛は睨《ね》めつけ叱った。
「ここは一兵たりとも大事だ。ひとたび平井山のご陣が敗れんか、織田方全体のやぶれとなろうも知れん。——まして城方に比しては手薄《てうす》なところ、わしの留守中には、百人分も戦え。——来るなっ」
「はいっ」
「帰れっ」
「はっ……」
悄然《しようぜん》として、主人思いな郎党は、山上の陣地へ、戻って行った。
その後ろ姿も見、また秀吉の営をも上に仰ぎながら官兵衛ほどな武士の鉄腸《てつちよう》も、掻きむしられる思いがした。叱って追い返した郎党はともあれ、秀吉の寂寥《せきりよう》を考えると胸が傷《いた》む。
片腕と恃《たの》んでいた病軍師竹中半兵衛が、京地へ療養のため山を去ってからまだわずか十幾日。いままた、自分もその側を離れ去って行く。自ら高く持《じ》すのではないが、秀吉の平常の言そのままを以てすれば、半兵衛は左の腕と思うぞ、官兵衛はわが右腕だぞと、酒興《しゆきよう》のうちにもいっていた主人である。しかもこの苦戦に直面している平井山の秋、やがて早い霜も降ろう、雪も降ろうに。——と官兵衛は駒を止めてしばしは去りがてな容子であった。
死ぬなよ。
死にますまい。そう誓って許されはして来た暇《いとま》であるものの、行く先の事情と目的の困難を想像すれば、到底、生きて帰るなどという僥倖《ぎようこう》は望まれない。百に一つもあり得ないといってもいい。——そう固く信じている彼は知《し》らず識《し》らずこれを今生の別れのように、可愛い郎党の姿も振り返られ、秀吉の姿も仰がれ、また平井山の暮れゆく山容も眺められていたのだった。
「愚痴《ぐち》だ。妄想するなかれ。北条時宗もいった。うしろ見は武門にない。当ってくだけろ。道は一すじ」
鞭をあてるや、そこからは夜にかけて、馬の喘《あえ》ぐまで駆け通した。